「ヨーロッパ最後の秘境」と呼ばれているジョージア(旧グルジア)からやってきた、「自分とは何か」というアイデンティティーのおはなしです。
ある日突然、「自分の一部だと思っていたもの」がなくなったらどうなるのでしょう?
シマウマとうさんの場合は「シマ」でした。「シマ」ウマという名前がついているくらいですから、「シマ」がなくなったらいったい「何者」になるのか。自分がシマウマとうさんだったらと考えると、居ても立ってもいられない、不安な気持ちになってしまいますよね。 不安と焦りから、なんとか「元の自分の姿」を取り戻そうとあれこれ試してみますが、一向に効果がありません。でも、シマウマとうさんは高所恐怖症のキリンさんとの出会い、「新しい自分」を発見することに――
この物語からは、どんな変化が訪れても「丸ごとの自分を愛そう」というメッセージが強く伝わってきます。 環境の変化などにより、これまでに積み上げてきた「自分らしさ」を喪失したように感じることを、「アイデンティティー・クライシス」といいます。親の都合で転校し、誰も顔見知りがいない生活が始まったときの不安感、がんばって勉強したのに試験に落ちた時の喪失感、好きな人に振られてしまった時の絶望感、妊娠・出産そして子育てで、社会から断絶された“別世界”へ迷い込んでしまった感覚。そんな風に、「自分はいったい何者だろう、今まで何をしてたんだろう」と考えこんでしまう瞬間が、人生には幾度もあると思います。そんなときに、シマウマとうさんの生き方が、大きなヒントになるかもしれません。
悩みの部分だけ取り出すと、かなり深刻そう。でも、大らかなシマウマのかあさんとぼうやの振る舞いやとぼけたような表情が心を和ませてくれますし、なによりも、ラストで見せるシマウマとうさんの笑顔にほっと一安心。シマウマとうさんと一緒に、自分を見つける旅に出かけた気分が味わえます。
(中村美奈子 絵本ナビライター)
ある日のあさ、シマウマとうさんは、じぶんの体のシマがいっぽん、消えていることに気づきます。 つぎの日も、そのまたつぎの日も、シマはどんどん消えていきます。
お医者さんでもらったシロップも、近所のダチョウがくれた「きせきのなんこう」も、ちっともききめがありません。 「シマのないシマウマなんて、みっともないにきまってる!」と、やけっぱちになるとうさん。
そんなとき、シマウマとうさんは、高所恐怖症のキリンに出会って・・。 自分に思い悩む、すべての人に贈る絵本!!
「シュクメルリ鍋」で知られるようになった、ジョージア(グルジア)の絵本作品です。
シマウマのシマがなくなってしまったら、ただの白馬なのでしょうか。
他人事のようにして読んでいながら、高所恐怖症のキリンが登場するまでになると考えてしまいました。
自分が自分の特性を失ってしまったら、自分ではなくなるのでしょうか。
自分が持っている個性そのものが悩みの種だったらどうすれば良いのでしょうか。
2つの悩みは別ものでありながら、アイデンティティを考えるという点では、同じ悩みかも知れません。
シマがあるからこその悩みだってあるのではないかとも思います。
自分らしさを考えるための絵本のようです。
年齢とともに老化していく自分を振り返りながら、無理なものは無理だから、どうしたらそれを受けいれられるか、そんなことも考えてしまいました。 (ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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