伝説的絵本作家、M. B. ゴフスタインが1976年に出版した傑作『FISH FOR SUPPER』(原題)が新訳・新装版にて『おさかなごはん』として待望の復刊。
『おさかなごはん』(原題:FISH FOR SUPPER)は、一人暮らしのおばあちゃんの日常を描いている。朝5時に起き、釣りに出かける彼女の姿は、時が止まったかのような静けさと繰り返しの中にありながら、自然と同調して生きていくことの喜びに触れている。現代社会において「品のある暮らし」を実践することは容易ではないが、彼女の毎日はその大切さと可能性を教えてくれる。
ゴフスタインの絵はシンプルな線でありながらも、決して情報量を失わず感情にあふれている。私たちはページをめくるたびに、湖に浮かんだ船のように心が揺さぶられるのだ。おばあちゃんと私たちは同じ風景の同じ時間の中に漂っている。
この本には現代的なテーマが多く含まれている。エコロジカルでサステナブルな生活、心の余裕と規律、いつまでも楽しんで生きること、そして老い。1976年の初版時より大きくせり上がってきたこれらのテーマに、おばあちゃんの生活は静かな示唆を与えてくれる。
『おさかなごはん』は、ただの児童書ではない。むしろ、大人が自分の人生を振り返り、未来を想い描くための指南書である。M.Bゴフスタインがなぜ、孤高の伝説的絵本作家であると言われるのか、それは『おさかなごはん』を1枚めくればわかるはずだ。
各ページの大半は白紙です。
その真ん中あたりに、線画でおばあちゃんの一日が描かれていきます。
何気ない一日なのに、考えてしまう絵本です。
おばあちゃんはさかなを釣るために朝の5時に起きます。
食事をして、身支度をしたら、小舟に乗って一人で釣りに出かけます。
一日中舟に乗って、魚を釣って家に帰ります。
そして釣った魚を食べて、片づけものを済ませたら、明日の釣りのために就寝するのです。
なんとシンプルで、なんとルーティーン化された毎日でしょう。
この生活には変化がありません。
モノクロームの作品なのに、なぜだか途中で「向こう岸の黄色いボート小屋」が登場します。
それはおばあちゃんを見ている黒い瞳なのです。
単調な毎日で、誰とも接点がなさそうなのに、ここだけに他者との接点がありました。
読んだ人はただ通り過ぎるだけでしょうか。
何かを感じ取るのでしょうか。
コブスタインから投げかけられた、問いかけのような絵本です。
私は、このルーティーンをどこかで崩したいと思いました。
(ヒラP21さん 70代以上・その他の方 )
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