けわしい山々に囲まれたネパールの小さな村で暮らす少女ロミラの一日。アジアの子どもの姿を伝える絵本。
1982年刊行。山奥の村に住む少女が、電気も水道もない農村で、ヤギの面倒を見たり、家の仕事を手伝ったりしながら暮らす様子を描く。巻末に筆者たち二人のネパールでの暮らしや、子どもたちの様子、意見なども記す。
今や電気も水道もない生活など想像もつかないが、私の祖父母たちの時代は、まだ井戸で水を汲んだり、薪で炊事をしたりするのが普通だったという。もちろんテレビもスマホもなく、情報もなかなか入ってこず、娯楽といえば近所の人の人事関係の噂話くらいという生活。
それが普通だったのに、一気に電気・水道・情報化して、暮らしがどんどん変わっていった。日本で起きたことだが、この絵本で見るようなネパールや他の地域でも生活の変化が起きている。
この絵本で描かれている素朴な生活は、決して「楽園」ではない。
しかし、人間が体を使い、知恵を使い、近所の人たちと交流しながら厳しい環境のなか生き延びていく様子が、生き生きと描かれている。生きている張り合いが感じられる。
なんでも便利になって、なんでもやってもらえて、何も大変なことがなくなってしまうと、何もやることがなくて、やる必要もなくて、どうでもよくなって、生きている意味が分からなくなるのかもしれない。
あまり良い例えではないが、高齢者施設で、至れり尽くせりでも面会者ゼロの、無表情な人たちと、過疎化した農村で人の噂話をしながら自分で野菜を育ててたくましく生き抜いている爺さん、婆さんたちは、同じ人類とは思えないくらい、違う。
そのことを思い出させる絵本だった。
人間が生きるのは、ただ便利で快適なだけではだめなのだろう。
できればほどほどに不便で、毎日適当に体も頭も使い、時々楽しみがあるくらいがちょうどいいのだ。
この絵本を読んで、そう思った。
美しい絵で、個性的な色使いで印象的だが、人生のいろんな部分も含めて「生きる」ということを表現しているような、深みがある絵だ。決して甘い・かわいいだけではない、生きる覚悟のようなものが感じられる。それが延々と続いている人間の歴史を連想させる力がある。 (渡”邉恵’里’さん 40代・その他の方 )
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