![出版社からの紹介](/images/shoukai_shuppansha.gif)
明日香=飛鳥の地が蘇我王朝の居城であった!
見瀬丸山古墳(欽明)、双墓(ならびばか…蝦夷と入鹿)、 天武と持統の檜隈大内陵(八角墳)、馬子の墓(石舞台古墳)が 東西一直線に並ぶ明日香=飛鳥は“天井のない歴史博物館” とも呼ばれる。 4世紀後半から5世紀にかけて朝鮮半島から加羅系と百済系の 新旧二つの渡来集団の史実を無視して日本古代国家の成立を 明らかにすることはできない。 百済の蓋鹵王の弟昆支(応神、倭王武)と弟の余紀(継体)は 大和川と石川の合流点の羽曳野に本拠を置く加羅系の 倭の五王済のもとに婿入りした。 全長525メートルの大山古墳(伝仁徳陵)に 昆支王の弟余紀(継体天皇)が埋葬され、誉田陵(伝応神陵)に 昆支王(応神、倭王武)が埋葬された。 倭王武の晩年の子欽明は安閑の娘石姫を皇后とし、 昆支王を始祖王とする蘇我系豪族の娘堅塩媛を妃とした (531年の辛亥のクーデター)。その後、欽明は 后の堅塩媛とともに大和橿原の見瀬丸山古墳に埋葬された……。
この仮説を否定するには見瀬丸山古墳=畝傍陵墓参考地の 発掘調査しかない!
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