●虫とり少年が「絵を描く人」になるには
───たかいよしかずさんは、どんな子どもだったのでしょうか?
団地に住んでいたんですけど、夜7時まで虫とりして帰ってきたら、心配して怒った母親が家に入れてくれなかったんですよね。しばらく玄関を開けてもらえるのを待ってたけど、「もうあかんのやったら、虫とりいこ」と思って、また虫とりに行きました。夜暗くなってからのほうが虫が見つかるんですよね。8時か9時に虫をいっぱいとって帰ってきたら、あきれて母親が入れてくれました(笑)。
団地なので、夜通し、廊下の電気がついています。すると夜に虫が飛んできて、廊下に落ちているんですよね。なので、1人で早起きをして団地を歩いて回って虫とりをしたりもしました。好奇心のままに動いていましたね。『ファーブル昆虫記』を読んでおもしろくて、中学生くらいのときに「ぼくも昆虫記を書こう」と思い立って、3つくらいの虫について書いた記憶があります。
───昆虫記……。すごいですね!
ぼくは勉強がすごく苦手な子でしたが、自分の興味のあることを調べて、学んで身につけることは、「絵を描く人になる」という夢のために必要なことだったと思っています。
「べんきょうってなんのためにするの?」と子どもに聞かれたとき、今の自分だったら、なんて答えてあげられるだろう、と思いました。究極的に伝えたいのは、「自分が幸せになるために何をするべきか」ということだと思うんですよね。
ぼく自身は、大学卒業後におみやげもののグッズを売る会社に勤めて、営業の仕事を経験したこともあるし、いろんなアルバイトもしました。絵を描く仕事をできるようになるまでには、たくさんの出会いがありました。でも、人と出会う前に、いろいろ自分でやってみたことがあって……。あとから振り返ると、あのときの経験はこんな意味があったんだなとか、今の仕事にすごく役立ってるなと思うことがたくさんあります。そのへんを『すきなことのみつけかた』では具体的に描いてみたいなと思いました。
●子どもたちに伝えたいことがある
───お聞きしたかったのですが、最初に『ともだちのつくりかた』をつくろうと思った、直接のきっかけが何かあったのですか?
実は、『ともだちのつくりかた』を作ったのはある少年事件がきっかけでした。遊び友達仲間の間で、13歳の少年が殺された事件です。ぼくはそのニュースを聞いたとき、「ありえへん」と思いました。「どうしてそんなことが起こったんやろ」と憤りを感じました。でも自分がどれだけ怒ったって、いじめで傷ついたり傷つけられたりという子どもたちの社会の現実は何も変わらない。「じゃあ、自分ができることは何だろう?」「少しでも自分の仕事で、子どもたちに伝えられることがないだろうか……」と考えて、生まれたのがこの本です。
───たかいさんのそんな思いがあったのですね。
以前『キャラクターデザインの仕事』(大日本図書)という本を一緒に作ってくれた編集者が、『ともだちのつくりかた』も担当してくれました。キーワードをずらっと並べただけのラフの段階から、少しずつ内容を詰めていきました。
編集者:いつもたかいさんとは、いろいろなことをおしゃべりしながら作品を作っていくんですが、あるとき、自分だけがこんなに楽しいおしゃべりを聞いているのはもったいないと思ったんです。それで「たかいさんには、子どもたちに伝えたいことがあるんだと思います。それを本に書いてみませんか」とお伝えしました。
そのとき「いやー、ぼくは文章は書けませんよー」とやんわりお断りをした……つもりだったのですが、大阪へもどる新幹線の中で、せっかく仕事しませんかと言ってくださったのに、すぐ断るのはまちがってたんじゃないだろうかと考えて、クロッキー帳を開いて、思ったことを書き留めていったら、あれ、もしかしたら書けるかもしれないな……と。
それで翌朝にもう一度お電話して、「やります!」と伝えて、出来上がったのが『キャラクターデザインの仕事』です。
───『キャラクターデザインの仕事』は、見開きにだいたい1つのテーマで、たかいさんの考え方がまとめられていて、キャラクターデザインに興味がある小学校高学年から中学・高校生くらいの子が読めそうですね。
そうですね。出来上がったあと、やっぱり小さな子どもたちにはちょっと難しいし、ボリュームもありすぎたかなと思っていて、小学生に読んでもらえる絵本を作りたいと思っていました。それが『ともだちのつくりかた』と『すきなことのみつけかた』になったということもあります。
●自分より上手い人がいても、やめなくていい
───絵が上手なたかいさんだから、子どもの頃の夢を実現させて「絵を描く人」になれたのかなと思ってしまうのですが……。
たとえば、ぼくはたしかに、小さい頃から絵を描くのは大好きだったんですよ。でも幼稚園のとき、友だちに「かいじゅうの絵をかいて」とお願いしてその子が描いてくれたゴジラの絵は、自分よりずっとうまかったんです。「ベムラー」というウルトラマンシリーズの最初の方に出てくる宇宙怪獣がいるんですけど、一目見てすぐベムラーだとわかる絵なんですね。「あ、ぼく、この子には勝てないわ」と思いました。スタートから挫折だったんですね。
───そうだったんですか……!?
小学校にあがっても、自分より絵が上手い子がいるのはわかっていました。絵本作家になった今、小学校に呼ばれて講演するとき、ぼくはよくこう話すんです。なぜ今ぼくが絵を描ける仕事に就けているのかというと、好きやったから、自分より上手い人がいるとわかっていたけれども、やめなかったから。やめずにずっと続けてきたから、今ここに来られました、って。
この話を小学生の子たちにするとね、心に響くみたいで、けっこう反響あるんですよ。講演会で話が終わったあとに感想をもらったりするんですけど、「ぼくはサッカーをやってて、自分よりうまい子がいるからもうサッカークラブをやめようと思っていたけど、きょうの話をきいて、もうちょっとだけでもサッカーをつづけてみようと思いました」とかね、そんな感想をもらうと、もう、この子のためだけでも、この話をしてよかったなあと思います。
ぼくは大学4年生のときに、母校の中学校で、美術の先生として教育実習をしたことがあるんですが、そのときに思ったのは「子どもたちにとって教科の大切さは2割で、あとの8割はちゃんと子どもたちと話ができる先生が必要だ」ということでした。
先生にはならなかったけれど、ぼくなりに子どもたちに伝えたいことが、自分の中にあるような気がしていました。「将来、絵本作家になって、きっと伝えたいことを伝えよう」と思いながら、20年かかって絵本作家になって、さらにそこから10年かかって『ともだちのつくりかた』と『すきなことのみつけかた』を作ることができました。
───たかいさんの、長い間の思いが込もっているのですね。