地球一周ぶん日本を歩いて地図を作った男!
漁師の息子として生まれた忠敬は幼い頃に母を亡くし、算術の勉強に精を出します。千葉県佐原の伊能家に婿入りした後は、持ち前の探究心と商才を発揮し、没落した名家を復興させるなど、名主としても頼られる存在になってゆきます。昼は家業、夜は暦学や天文学の勉強をして過ごしていた忠敬は、隠居後に江戸に旅立ち、本格的に勉学に励むことを決意。この時の年齢は50でした。 幕府の天文方・高橋至時に師事し、門下生の誰よりも熱心に学んでいた忠敬が、地図作りのために測量の旅に出ることになったのは55歳の時…! 困難な旅路を幾度も乗り越え、地球一周分の距離を歩き測量し、当時の技術では考えられないほど精巧な日本地図を作った男の生き様に迫ります。
【編集担当からのおすすめ情報】 高齢ながらも壮大な夢を持ち、挑戦し、それを成し遂げた伊能忠敬。 旺盛な好奇心と確かな技術力で、極めて精巧な日本地図を初めて作り上げた男の生き様とは、どんなものだったのか? 学校で必ず習う偉人の生涯を、分かりやすく、読みやすく、楽しく読むことができます!
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