青いリンネルの上着を着た小さな男の子が、ならの木の下の道をかけていきます。 「遊んでいかないの」 「おまつりにいくんだ」
男の子とならの木の出会いは、少し前。 小さな体でならの木の幹をつたって、上へ上へと登ってきたのです。 「もっと上だよ。もっと上だよ」 枝を鳴らして話しかけるならの木のことばを、男の子はたしかに聞いていたのです。 男の子は毎日来るようになりました。晴れた日はいつも一緒。 けれども今日、男の子は「おまつり」に行ってしまいました。 「おみやげを買ってきてあげるよ」 という言葉を残して。
そのまま時は経ち、いくつもの季節が通りすぎていき、ならの木は帰らない少年を待ち続けました。 「待つってことは、悲しいなあ」 一方少年の方は、若者となり、工場で忙しく働きながら、「なにか」を忘れているよな気がしているのです。はっきりと思い出せないまま更に時が流れ、おじいさんとなった時。彼は大切な約束を思い出し…。
ならの木と少年の、長い約束の物語。読者は何を感じとるのでしょう。 どんなに時が経っていても、決してなくなることはない少年の頃の瑞々しい体験。 そして宝物のように心の奥底にしまってあった「約束」。 戻っていける場所がある、そのことの大切さが美しい絵を通して優しく伝わってきます。
懐かしいような、切ないような、でも読み終わった後に体の中に清々しい風が通り抜ける1冊です。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
おみやげを買ってくると言ったまま、帰らない少年を待ち続ける、ならの木。時が流れ、おじいさんになった少年は、大切な約束を思い出す。
この絵本のタイトルにある「ならの木」は漢字で書くと、「楢の木」だろう。
絵を描いたのは平澤朋子さんで、彼女が描く「ならの木」も大きな葉が描かれているが、楢の木は落葉性の広葉樹の総称である。
日本でもこの木は見ることができるが、この絵本の舞台はどうも日本ではない。
町の名前が書かれているわけでもないし、絵本に登場する男の子に名前がついているのでもない。
ただ、少年が行こうとしていた「おまつり」にはメリーゴーランドもくるそうで、そういう「おまつり」は日本ではなかなかないのではないだろうか。
どちらかといえば、国籍不明の物語ではあるが、書いたのはやえがしなおこさんという日本の童話作家である。
日本の風景を消し去ることで、ならの木と少年の生涯をかけての約束物語が世界中の人々にも読んでもらえる広がりができたともいえる。
野原の若いならの木に、これから「おまつり」に行くという少年が、「おみやげに枝にぶらさげる鈴を買ってくる」と約束して行ってします。
ところが、少年は戻ってこなかった。
ならの木は何年も少年を待ち続ける。
ある日、若者になった少年がならの木の前に立つのだが、彼はならの木にした約束を思い出すことはなく、立ち去っていく。
もっともっと年が過ぎ、少年も年老いた男になっている。
そして、ある日、彼はならの木とした約束をふいに思い出すのだった。
短い物語ながら、少年のたどった厳しい人生と約束を待ち続けたならの木の人生がフランス映画のようなしっとりした味わいをもった作品に仕上がっている。 (夏の雨さん 60代・パパ )
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