インタビュー
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2024.12.19
『一年一組せんせいあのね こどものつぶやきセレクション』(以下『せんせいあのね』)連載第2回目は絵を担当されたヨシタケシンスケさんのインタビューを紹介します。子どもの頃に『せんせいあのね』の本がご自宅にあったというヨシタケさん。この本の絵を担当するにあたって、気を付けた「距離感」とは? 子どもたちの作品に向き合って絵を描くことへのお気持ちを伺いました。
出版社からの内容紹介
鹿島和夫と担任した小学校一年生たちとの、いわば交換日記であった「あのね帳」からセレクト。笑いをさそうもの、胸をうつもの…こどもたちから生まれた生のことばがヨシタケシンスケの絵とタッグを組み、新たに心をゆさぶる。
この人にインタビューしました
絵本作家・イラストレーター。1973年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。2013年『りんごかもしれない』で絵本作家デビュー。絵本作品『りゆうがあります』、『あつかったら ぬげばいい』、イラスト集『デリカシー体操』、エッセイ『思わず考えちゃう』など多数。MOE絵本屋さん大賞、産経児童出版文化賞美術賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞などを受賞し、世界各国で翻訳出版されている。2022年より展覧会「ヨシタケシンスケ展かもしれない」が全国を巡回中。近著は、『ちょっぴりながもち するそうです』、『しばらくあかちゃんになりますので』。2児の父。
───『せんせいあのね』は、ヨシタケさんの絵がすべてのページに描かれていて、とても豪華な作品ですよね。この企画はいつ頃依頼があったのでしょうか?
出版の1,2年前だったかと思います。実は子どもの頃、我が家にこの作品の前身となる『一年一組せんせいあのね』があったのを覚えていたので、ご依頼をいただいたとき、とても懐かしく、嬉しい気持ちになりました。
───『せんせいあのね』の中には54の子どもの作品が掲載されていますが、最初からどの作品が載るかは決まっていたのですか? ヨシタケさんが選ばれて絵を描かれたのですか?
お話をいただいた時にはすでに掲載する作品は決まっていました。その作品を読んで、とても面白かったので、ぜひ絵を描かせてくださいとお返事しました。もしかしたら、ぼくが選ぶやり方もあったかもしれませんが、きっとほかの作品もすばらしいものばかりだと思うので、選べなかったと思います。
ぼく自身、イラストの仕事の場合は絵を入れる位置が決まっていて、ここに絵をお願いしますとご依頼いただく方がやりやすいんです。『せんせいあのね』は出席番号1番から54番までの順番も決まっていたので、とても進めやすかったです。
───どの絵も作品にぴったりで、くすっと笑えるところも多くあるのですが、『せんせいあのね』にどんな絵を描こうか悩むことはありましたか?
ひとりひとりの言葉がとても面白いので、絵を描く側としてはとても悩む仕事でした。「絵がない方がいろいろな見方ができていいんじゃないか」「個性も違う子たちの作品を、ひとつのビジュアルに固定してしまうのは乱暴なんじゃないか」と最初はすごくいろいろ考えました。
こういった絵の仕事は、文章で書かれていないことを補佐するという役目があると思うんです。でも『せんせいあのね』のような、お子さんの正直な気持ちが書かれた、純度の高いものは、絵をつけることでつまらなくしてしまうことも多いので、絵を描く側として試されているという思いを常に抱く仕事でした。
───そうなんですね。そんな悩みを感じさせないくらい、軽やかで子どもたちの自由な生き生きとした様子が絵からもあふれていて、言葉と絵がちょうどよい距離感の中で関係しあっているように感じました。
言葉と絵の距離感は、まさにこの作品の命というか大事な部分で、絵としてどの距離を描くと良いかを探る作業が難しかったです。距離感を考えていく中で、「作品を書いた子の頭の中や抽象的な絵は描かず、外側からの様子を現実的な絵で描く」というひとつのルールを作りました。
───それはどういうことですか?
例えば、「おみそしる」という作品があります。この作品の絵を描くとき、おなかの中に「おとうふ 8こ うすあげ5まい おねぎ13こ」が並んでいる絵を描くこともできるんです。でもそれはその子の頭の中、想像の世界を描くことになってしまう。それではちょっと距離が近すぎる。その子の言葉よりも面白い絵は描けませんから、ぼくはその子が言葉を思いついたであろう状況を記録映像として絵に残します。なので、絵としてはこのようになるんです。
───なるほど。おいしそうにおみそ汁を飲んでいる子が、こういうことを考えているんだ…と、こちらが発見したような感じもしますね。ヨシタケさんのルールでいうと、「ほし」も距離感がとてもよくわかる言葉と絵だと思いました。
そうですね。この子の頭の中に入ると、いろいろな形の星を描く絵も描けると思います。でも、今回のルールでは星を見ている子の後姿を描く。その作品を思いついた瞬間の日常の一コマを切り取っていくことが、『せんせいあのね』の絵をつける上での、ぼくなりの1年生だった人たちに対する誠意のように感じています。
───抽象的なものと現実的なものを混ぜることをせず、あえて現実的な絵を描くというのは作品によっては難しいものもあると思います。特に悩んだ作品はありましたか?
「あめ」という作品は、最後の最後で描きなおしをしたので、よく覚えています。
最初は雨粒が葉っぱを滑っている絵を描いていたのですが、ほかの絵と見比べた時、これだけルールが違うなと思っていました。作品を書いた、みねゆきよしえちゃんが、雨粒がどういう風に滑り台しているか想像した場面を描くより、「滑り台をしてるなー」と思っているよしえちゃんだけを描く方が、その子に対する尊敬の念が表れるような気がして、この絵を描きました。
外から見たら、傘をさして草むらを見つめているだけですが、その頭の中に、こんなにも豊かな世界がある。それはこの子だけでなく『せんせいあのね』の作品を書いたすべての子にも言えることなのですが、その豊かな想像力にはあえて触れない絵を描くという距離感が、自分でも気に入っています。
───距離感のことを聞いてから、改めてページを読み返してみるといろいろ発見がありますね。
見方によっては、イマジネーションの世界を描くということから逃げているとも言えるかもしれません。でも、この子の想像、この着眼点より上に行くことはできないと思った時、どうやって逃げるかを考えました(笑)。絵によっては顔すらも描いていないものもあります。
───『やわらかいごはん』や『うそ』などは、顔が描かれていませんが、いろいろ想像できて楽しいです。
気を使っている家族と、気を使われていることを知っているお母さん。お母さんがどういう顔をしているかは、読者の想像に任せました。読んでくれた人が思い浮かべた顔よりいい顔は描けないので(笑)。
『うそ』も、心の中の悲しみを表すようなぐちゃぐちゃーとした抽象的な描き方もできたはずなのですが、今回のルールに従うと、この距離感になりました。きっと、読者の方の想像した顔はみんなそれぞれ違うと思います。
───おはなしを伺うと、ヨシタケさんがこの作品を書かれた子どもたちに対して、とても尊敬の気持ちを抱いていらっしゃることを感じました。
それは大前提としてありますね。ぼくが絵などを担当するとき「実在の人に勝手なことを言わせない」というのをやんわりと決めています。当時、この作品を書いた小学校1年生の子は、今、40〜50代になられて、現実世界でしっかり生活をされていらっしゃるはずで、その方を勝手にキャラクター化して、セリフをしゃべらせたりするのはよくないんじゃないかと思いました。『せんせいあのね』の作品には、書いた子の名前が載っているので、読めば性別が分かり、年齢6〜7歳ということもわかります。さらに言えば、時代は昭和で、関西地域というところまで絞り込むこともできるんです。でも、今回の絵では、そういった時代背景や生活様式などで判断できるものは極力描かず、小学校1年生の周りにいつの時代にもあるような普遍的なものをあえて描きました。いつの時代でも1年生は今を一生懸命生きているという表現にしたかったので、細かく描かなかったんです。
───ヨシタケさんが意識して描かれたから、40年前の子どもが書いたという年代を全く感じない、いつの時代の子どもたちからも共感を得られる作品になっていると思いました。
今回、この本を読み返していて改めて思ったのは、鹿島先生の引き出す力のすごさです。子どもたちはもちろん才能豊かで、素晴らしいけれど、じゃあ何もしなくてこれが書けるかと言ったらそんなことはなくて、鹿島先生が示すお手本や、子どもが書いたものを否定せずに引き出してあげる指導が大変すばらしかったんだろうなと。大人になって、ぼく自身が表現する側になった時、鹿島先生がなさったことがどれほど難しいかということが分かりました。
鹿島先生はお子さんのことを大事に思っていたし、お子さんの可能性を信じていたから、こういういいものを引き出せた。鹿島先生と子どもたちとの信頼、先生への安心感などがひとつひとつの作品からしっかり感じられるというのも、この作品が長く読み継がれる理由なんだと感じました。
───どの大人もこの言葉を子どもたちから引き出すことができるかというと、かなり難しいですよね。
自分も親ですが、我が子から同じような言葉を引き出せるかと考えると、誰にでもできることじゃないんだよなと気づきます。小学校1年生は誰でもすごいところがあるけれど、すごいところを外に表現できるようにすることは誰もができるわけじゃない。それを引き出して、それを整えた大人のすごさを今、改めて感じますね。
───鹿島先生はこの本が出版された年、2023年に亡くなられましたが、ヨシタケさんは鹿島先生とお会いする機会はあったのですか?
残念ながら、お会いすることは叶いませんでした。もし、お会いできたら「どうやって、子どもたちからこんな言葉を引き出したのですか?」とか聞いてみたかったですね。本当にお子さんのことを尊敬してらして、お子さんの気持ちのハードルを下げる天才だったのだと思います。そのノウハウを、ぜひお伺いしてみたかったです。
───今、絵本ナビでは『せんせいあのね』のレビューコンテストが絶賛開催中なのですが、この作品をどんな風に楽しんでほしいですか?
小学校1年生だった時ってみなさんにあるはずで、『せんせいあのね』は、「自分はこうだったな」とか「うちの子と一緒だなあ」とか、いろいろな人にとっての1年生を思い出すきっかけになる本だと思います。同時に、今まさに1年生の子たちがいるのも確かなので、リアルタイムで1年生の子に思いを馳せるきっかけになって、今と昔の違いを考えたり、単純に小さい子の発想のすばらしさに感動したり、いろいろな楽しみ方をしてもらえたら嬉しいです。
『せんせいあのね』は、リニューアルされながら生き続けている名作です。今回はぼくが絵を描きましたが、それを見て「ぼくだったら、こういう絵を描くよな」と考える方も当然いらっしゃると思います。「この作品に絵を描いてください」と言われたらどう描くか、考えて描いてくださったら、ぼく自身、この仕事をやった甲斐があります。絵ってそういうものなので。あくまでも今回の『せんせいあのね』の絵はぼく個人の感想なので、この絵を見て、自分も何か言いたくなったり、自分も何か表現したくなったりしてくれたら嬉しいですね。
───読んだ人の数だけ、いろいろな表現の絵が生まれそうですね。過去に出版された『せんせいあのね』の中には、まだまだユニークで新鮮な子どもの言葉がたくさんありますが、今後『せんせいあのね』の第2弾、第3弾がでる可能性はあるのでしょうか?
実は、この本が出版されて早々に第2弾をやりましょうというご依頼があったのですが、ぼくがすぐ動けなくて…。時期はまだ確定ではないのですが、続編の絵も描かせていただけたら嬉しいなと思っています。
───なんと! それはすごくワクワクする情報ですね。第2弾、第3弾とシリーズが続いていくことを楽しみにしています。今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。