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韓国・中国の作家と一緒に作った『へいわって どんなこと?』

2005年に、和歌山静子さんと2人で中国の上海に、和歌山さんの友人でもある絵本作家の周翔(ヂョウ シァン)さんに会いにいきました。韓国の作家さんで最初にお会いしたのは『こいぬのうんち』のチョン・スンガクさんでした。日本に講演にいらしていて東京でお会いしたんですけど、そのときのチョン・スンガクさんは私の印象では厳しかった。企画はすばらしいと思うけど、表面的な平和を言うのであれば意味がないと思う、と。お顔つきも厳しかったですね。

2006年の夏、日本人作家の私たち4人がそろってソウルに出かけました。そのことで韓国作家たちは、日本作家は本気なんだ、と、思ってくださったと思うんです。翌日案内してくださったのが西大門(ソデムン)刑務所です。日本が植民地にしているときに、朝鮮独立を叫ぶ人をつかまえて拷問したり処刑した施設。ここから私たちはスタートしたんです。ここに4人そろって行った、ということがすごく大きくて。チョン・スンガクさんの表情が日本でお会いしたときとはぜんぜん変わっていました。自分が連絡の窓口をやるから、浜田さん、日本側の窓口になってくださいと。日本も韓国もまだ出版社が決まっていなくて、通訳もボランティア。そんな中で私とチョン・スンガクさんが直接メールのやりとりを始めました。その一方で、和歌山静子さんが中国の絵描きさんとの窓口となり、中国に再三行かれたりしていました。

その時のお写真
▲その時のお写真を見せていただきました。

─── 最初は、1冊にされるというお話でした?

最初は漠然と“103”のイメージがあったので、みんなで1冊できるといいね、と話していました。ソウルで話したのは、翌年あたり中国で集まれたらいいね、そのときに各自アイディアを持ち寄りましょう、ということ。それが実現して、中国の南京に三か国の絵本作家12人と出版社が一堂に会したのが2007年11月でした。この南京会議の準備のために、中国の作家たちは大変尽力されました。すでに何人かは今につながるダミーを作ってきていて、韓国のクォン・ユンドクさんや私もダミーを公開しました。そこから苦闘が始まっていくんですけれど(笑)。

ソリちゃんのチュソク』が日本でも人気のイ・オクベさん(韓国)は、非武装地帯をテーマに描きたいとダミーを持ってらして、でもみんなで1冊というイメージだったから数ページのものを作ってこられたんですね。私も、いろんな方の絵が一緒に入って、それぞれの国の人が「へいわってどんなこと?」と問いかけるような1冊でもいいな、と。でも作家が一人で仕上げたほうがそれぞれの作家の世界を発展させられる、一人一冊にしましょう、となったんです。その代わり「連帯して作る」。つまり作りかけの試作、ダミーを、それぞれみんなで検討しあうというとんでもないことがはじまりました(笑)。

でも南京会議では、とにかくプロジェクトが出発できる、現実になっていきそうだという手ごたえがみんな嬉しくてねえ(笑)。会議が終わったあとはホテルの一室に集まって…楽しかったんですよ。夕食の時のビールやごちそうをダンボール箱に入れて「これで宴会やろう!」って部屋に持ち込んで(笑)ドンチャン騒ぎだったの。中国の蔡皋(ツァイ ガォ)さんが歌い、日本の田畑精一さんが歌い、韓国のイ・オクベさんってとても真面目な方なのに、おどけて踊って…涙が出るほどみんなで笑いこけて。これからがんばろうね、やっていこうね、みんなで作ろうね、って。帰るときは号泣でした。みんな離れがたくて。あの時間を共有したことで信頼関係が作られた。現実に本を形にするための大事な場だったと思います。そしてもっと信頼が高まってくるにつれて、非常に意見がシビアになってくるわけ。要するに「連帯」とは、言葉は美しいですけれど、各作家すべてがダミーを3か国12人にすべて公開して、みんなが忌憚のない意見を言い合うっていう、ありえないことですから(笑)。

─── ダミーを見せる編集者が12人いるというか、もっとすごいことですね(笑)。

そうですね、作家ってみんな王様ですから。自分の世界を自分が作ってる人たちでしょう。日本の作家同士だってぜんぜん感性が違うわけです、大目的は一致してても。しかも中国、韓国の作家同士でしょ。いざ始まってみると非常に感じ方も考え方も違って…もう初めての体験でした。私だけではなくすべての作家が大冒険というか、ジェットコースターに乗ったような(笑)。

─── 制作のほうにも影響が?

それは大きかったですね。『へいわって どんなこと?』の完成形に近いかたちが見えてきたのが2009年の終わり頃ですけれども、韓国の作家から、非常に厳しい批判のお手紙が来たんです。ひとつには、私は子どもの視点で文を考えていたので、ぜんぶ受身の文章だった。だって子どもにとったら、戦争って、ある日突然わけがわからないうちに起きて、ある日突然飛行機が飛んできて、爆弾が自分のところに降ってくるでしょう。だから本全体が「せんそうのひこうきがとんでこない」とか「そらからばくだんがふってこない」とか、被害を受ける子どもの「受身」の立場になっていたんです。その文章を「日本人が無意識的に持っている、戦争の被害者意識のあらわれではないか」「爆弾の場面は、原爆ではないか」と。

当初ガザやアフガニスタンの空爆のイメージで絵を描いていた私はとてもびっくりしたし、その批判にすごく抵抗がありました。でも韓国の作家たちと出会ってから4年近い月日が経っていましたから。それこそダミーをさらけ出し合いながら一緒にやってきた、そういう信頼があってのことだろうなと思って。一度お返事を待っていただいて、自分の心を客観的に見てみようと思ったんですね。そして冷静に考えてみました。

浜田桂子さん 日本人が二度と戦争の悲しさを繰り返すまいと思うとき、確かに、最初に広島・長崎の原爆や東京大空襲の悲惨な光景が浮かんでくる。では、東アジアの人は? と考えました。たとえば重慶爆撃。アメリカは日本が中国の重慶を爆撃したのを参考にして東京大空襲をしたと言われます。それから『コッハルモニ―花のおばあさん』(韓国/クォン・ユンドク作)という慰安婦を扱った絵本がこれから日本でも出版されますけれど、私は慰安婦の存在を知っていたし、もちろんひどいと思っていた。けれど知識として知っていても、もう二度と戦争なんかいや!と思うとき、その苦しみや痛みが、自分の中にあるだろうか。重慶で逃げまどう親子の姿が浮かぶだろうか。そのもどかしさを、韓国作家たちは痛烈に言ってこられたのではないかと。「今のままでは、浜田さんの絵本は日本でしか通用しないでしょう」と…。

だったらどうしたらいいか、と考えました。そのとき、あっ、私は子どもって弱い存在で、爆弾が自分のところに降ってきちゃうとか、飛行機が飛んできちゃうとか常に受身で、何もあらがうことができない存在だと思っていたけどそうじゃないんじゃないか。もしかして子どもはもっと力強いもので、戦争をしでかす大人に、爆弾を落としちゃダメ! そんなことしちゃダメだよ!って言える存在なんじゃないか。子どもは決して戦争なんか起こさない。いつでも戦争を起こすのは大人。大人に対して世界の国の子どもたちがみんないっしょに「やめなさい!」というスタンスにしようと思ったんですね。そして言葉を変えたんです。「せんそうをしない」「ばくだんなんか おとさない」と。

「だって だいすきなひとに いつもそばにいてほしいから」というページがありますが、最初は「だって だいすきなひとに だきしめてもらいたいから」でした。子どもが大人にだきしめてもらう、というだけの意味だったけれど、「だって だいすきなひとに いつもそばにいてほしいから」と変えたことで、大人にとってもこの子がいつもそばにいてほしい、子どもにとっても大人がそばにいてほしいという双方向の文になった。それは本当によかったと思っています。

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浜田 桂子(はまだけいこ)

  • 1947年、埼玉県川口市生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。田中一光デザイン室勤務の後、子どもの本の仕事を始める。
  • 絵本に『あやちゃんのうまれたひ』『あそぼうあそぼうおとうさん』『あそぼうあそぼうおかあさん』『てとてとてとて』(以上、福音館書店)、『ぼくがあかちゃんだったとき』『さっちゃんとなっちゃん』(共に教育画劇)、『ぼくのかわいくないいもうと』(ポプラ社)、『あめふりあっくん』(佼成出版社)、イラストエッセイに『アンデスまでとんでった』(講談社)、『おかあさんも満一歳』『アックンとあやちゃん』(共にアリス館)など。

作品紹介

へいわって どんなこと?
作・絵:浜田桂子
出版社:童心社
日・中・韓平和絵本 非武装地帯に春がくると
作・絵:イ オクベ
訳:おおたけ きよみ
出版社:童心社
日・中・韓平和絵本 京劇がきえた日
作・絵:ヤオホン
訳:中 由美子
出版社:童心社


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