きみはいつものように、あけっぱなしの玄関から、どんどんぼくの部屋にあがりこみ、ランドセルをおろしながらこういった。「せんせいが、おまえは本を読めっていうんだ。ことばがなってないから」。ぼくは一冊の詩集をきみに手渡す。「ここんとこ、読んでみな」。詩は、おもしろい。そして、詩はことばを自由にし、ことばはわたしたちを自由にする。20篇の詩を通して、詩人斉藤倫と楽しみ、考える、詩のことそしてことばのこと。
詩を読むって難しい?
物語のように長くないから難しくないかな。
でも、どんな詩だって聞かれても、物語のようにうまく話せないから、読めているっていうのかな。
それに、例えばこの本のように「詩集」なんて言葉がタイトルになっているけど、どうみてもこれは「詩集」じゃない。
でも、この長いタイトル、どこで切れるのかわからないけど、ちょっとかっこいいと思わないかい。
この本の奥付き、ほら本のおしまいにある発行の日や発行した出版社の名前とか出ているページがあるだろ、に英語表記のタイトルが出てて、そこには「Good KidGood Poems」とある。
その方がわかりやすいけど、日本語の長いタイトルの方がやっぱり好きかな。
この本は小学生の男の子が亡くなったお父さんの友だちだったおじさんを訪ねて、詩とかの話をすることで、詩の世界がわかるようにできている。
詩の世界っていっても、ひとつの詩をどんなふうに読むかは自由だし、そもそも正しい読み方はないかもしれない。
この本でも、これが正しい詩の読み方なんて書いてない。
でも、こんな文章があったりする。
「ひとは、ことばをつくって、こころを、あらわそうとした。それでも、あらわせないものが、詩になった」
だったら、詩って存在するの?
もし、子どもたちがこの本を読んで、詩が書けたらいいけれど、書けなくても、詩って何だろうとちょっと考えてみるだけで、この世界の見え方は少し違ってくるかもしれない。 (夏の雨さん 60代・パパ )
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