作者は、インタビューで、
「子どもはママが死んでしまうというということだけでも、すごくショックだし、怖いし、考えたくない。だから、そのマイナスを中和させるには、前半部分は楽しく、笑いの要素を入れなければ、子どもたちが読んでくれないと思いました。」
と仰っていますが、ギャグで死の恐怖、重さを中和できるとは思えないんです。
大切な人を亡くす体験は、人生を変えてしまう衝撃だと思うのは私だけでしょうか。亡くなった人と過ごした日々は、二度と戻ってきませんから。
大事な人のいない世界で、自分は生きていく。
「ああ、人って、死ぬんだ」と思いました。アニメの、やわらかく表現された殺人現場の絵に自分でもびっくりするほど動揺したり、混乱する心を抱えて、最低限の生活リズムを保とうと努力するだけで、本当に消耗してしまいます。
絵本の中で、主人公が「ママと はなれたく ないから、ひとりで なんにも できない こに なってやる!!」と言うけれど、子供が、この局面で、それほど明確に自分の苦しみを表現できるものでしょうか。場合によっては大人ですら難しいのに。表情や行動から、大人が汲み取っていく種類のものに思えます。
親を失った直後に、トイレやお風呂を一人でがんばった、というのも違和感があります。こんな時にそんなこと、やらせる必要はない、それどころじゃない。
たいていの人は、時間がたてば笑えるようになるけれど、人生を見る目は永遠に変わってしまいます。
昨日から続く道を、今日もてくてく歩いていたら、あったはずの地面がいきなり無くて、足を踏み外すような、はっ とする感じ。
明日も、明後日も続くと思っていた道は、あの瞬間までしか存在しなかった、もう少し先まで続いているように見えたのは、ただの幻だったんだ、と思う苦々しさ。
どんな切実な願いも、努力も、亡くなった人は生き返らない、という現実に対しては何の力も無いというのに、軽いノリのギャグが入り込む余地なんて、ないと思います。
他人の遺影を使うなんて・・・ママじゃないみたいにきれいって・・・・自分がよく知っている、その人らしさがうかがえる写真を使いたいと思うのが人情ですよ。
死を軽視することは、亡くなった人と残された人との、絆や愛を軽視する事なのだ、とつくづく思いました。