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夢見る子供だったのかな
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投稿日:2023/11/01 |
『星新一ショートショートセレクション8』(理論社)。
表題作である「夜の山道で」をはじめとして、17篇の「ショートショート」が収められた、児童書。
装幀・挿絵(それぞれの作品にひとつ挿絵がついています)は、和田誠さん。
星新一さんの本を読んでいると、腹ばいになって本に夢中になっている子供の姿がつい目に浮かんできます。
子供は私ではありません。子どもの頃、星さんの作品に出会っていたら私もきっとそうであっただろうという、空想の世界です。
そして、この子供の頭の中はたくさんの夢にあふれています。
星さんの作品には、そんな姿を浮かばせる力があります。
この巻では「王さまの服」が面白かった。
有名なアンデルセンの「裸の王様」のパロディのような作品です。
原作のように、心の正しい人には見えて悪い人には見えないと詐欺師の洋服屋に騙される王様の話。原作では、正直な子供が「王様が裸だ」となっておしまいですが、星さんは見えない服が国の統治に一役買ったことにしてしまいます。
最後、この王様が結婚することになって、王女がいう一言がいい。
「悪くないけど、似合わない」
うまいオチだ。
「レラン王」という作品もよかった。
ある時神から大洪水になるお告げをもらった王様が、むざむざ死ぬのは嫌だと夢の世界に入ることになる。そこで、王様は世界の歴史をたどっていくという、夢! のようなお話。
星新一さんこそ、夢見る子供だったに違いない。
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この絵本よまなきゃ、いたずらするぞぉ
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投稿日:2023/10/29 |
中川ひろたかさんが文を書いて、村上康成さんが絵を描いている
人気シリーズ「ピーマン村のおともだち」の一冊、
『やっぱりハロウィン』です。
2023年8月に出ました。
「みなさん、ハロウィンってしってますか?」
園のひろみ先生の一声から、この絵本は始まります。
先生の提案で子どもたちは変装をしてきました。
怪獣やドラキュラ、悪魔、ひろみ先生は魔女。
さあ、町にでましょう。
「おかしをくれなきゃ、いたずらするぞぉ」
子どもたちの元気な声が響きます。
最後は園長先生の部屋に行くのですが、
園長先生は子どもたちの相手をしてくれません。
そこで、ひろみ先生と子どもたちは園長先生にいたずらをしかけます。
子どもたちのいたずらがこの絵本の後半で楽しめます。
最初、「ああいうの、すきじゃあありません」と言っていた園長先生も
おしまいには「やっぱりハロウィンはたのしいです」ってなってしまうのですから、
子どもだけでなく大人も楽しめるハロウィンです。
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新聞に信頼を寄せていた時代
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投稿日:2023/10/22 |
新聞週間が10月15日から昨日21日まであった。
最近新聞を読まない人が増えているとよく聞く。
テレビやインターネットなど情報を得る手段が多様化し、
その即時性など新聞はもはや絶対ではない。
それに新聞が正義だとは誰も信じていない。
戦時中の報道規制をいうまでもなく、平和時であって伝えられることは
すべてではないし、偏向している。
今度新聞がどのようになっていくのか、誰もわからないのではないのだろうか。
この絵本、『おばあさんのしんぶん』は、
2014年の新聞配達エッセーコンテストで最優秀賞になった
岩國哲人(てつんど)さんのエッセーが原作となっている。
それを絵本作家松本春野さんが絵本として仕上げた一冊だ。
岩國さんがこのエッセーを書いたのは78歳の時。
少年の日の新聞配達の日々を綴った。
戦争で早くに父を亡くした岩國少年はどうしても新聞を読みたいと
新聞配達のアルバイトを始める。
そんな少年の気持ちを察してか、読み終わった新聞を読んでもいいという
おじいさんがいた。
おじいさんが亡くなったあとは、おばあさんが少年にそれを許してくれる。
そのおばあさんが亡くなった時、実はおばあさんは字が読めなかったことを知る。
おばあさんは岩國少年のために新聞を購読し続けてくれていたのだ。
のちにこの岩國少年は出雲市長や衆議院議員となる。
そして、このエッセーで少年の頃の感謝を綴る。
この絵本の最後に岩國さんはこう記している。
「生きる糧として、人生の指針として、いつも傍らにあった新聞」と。
今もそうであるか、新聞は問われていないか。
岩國哲人さんは2023年10月6日、87歳で逝去された。
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高齢者が元気いっぱいの児童書
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投稿日:2023/10/20 |
読書の普及の推進で文化の向上と社会の進展に寄与する目的で結成されたのが
「読書推進運動協議会」という組織で、
そこから成人の日に合わせて「若い人に贈る読書のすすめ」、
敬老の日に合わせて「敬老の日読書のすすめ」という
リーフレットが作成されている。
小さな冊子ながら、それでも24冊のおすすめ本が紹介されていて、
今年の「敬老の日読書のすすめ」の一冊に、
この村中李衣さんの『奉還町ラプソディ』がはいっていた。
挿絵を石川えりこさんが描いていて、シニア向けのおすすめ本ながら、
これはれっきとした児童文学なのだ。
岡山にひっこしてきた「ぼく」には、「奉還町商店街」でまんじゅう屋をしている
あつしという友達ができる。
この二人の小学生が主人公だが、
二人以上に活躍するのが「奉還町商店街」の老人たち。
そもそもこの商店街は、「大政奉還」の際に配られた奉還金でもとに始まった
歴史のあるところだが、
多くの店の主人たちはみな年をとっている。
商店街も寂れつつあるが、それでもみんなへこたれていない。
こわい顔をいた洋服屋のおじさんも、
年取った理髪店のいのうえさんも接骨院の先生も苗屋のおばさんも
みんな元気だ。
小学生の二人はそんな老人の元気にふりまわされる。
でも、そんなことを「ぼく」たちは嫌っていない。
むしろ、一緒に楽しんでいる。
そうやって読んでいくと、
この物語は児童書ではあるが、老人向けでもある
そんな贅沢なつくりになっている。
この本を読んだ子どもたちがおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔を見たいと
言い出すかもしれない。
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絵本と合わせて読んで下さい
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投稿日:2023/10/11 |
絵本『ヒロシマ消えたかぞく』をつくった指田和(さしだかず)さんは埼玉県生まれの女性で、
出版社で子どもの雑誌などの編集に携わったあとフリーで活動しています。
『ヒロシマ消えた家族』は2019年7月に出版されましたが、
そのあと2020年に夏の課題図書(小学校高学年の部)に選ばれ、
多くの読者を得ました。
おそらくそんなことで、何故埼玉に住む指田さんが
広島に落とされた原爆で命をおとされた一家の写真と出会ったのか
疑問の感じた子どもたちも多かったのだと思います。
この『「ひろしま消えたかぞく」のあしあと』は、
指田さんがどのようにして、鈴木六郎さんの写真と出会い、
鈴木さんの残したたくさんの写真から一冊の絵本に仕上げていく過程を綴った
ドキュメント作品です。
指田さんが鈴木さんの写真と出会うのは、
広島平和記念資料館での展示からでした。
2016年夏のことです。
展示されていた写真に心を打たれた指田さんは、その後、
展示の写真を提供していた亡くなった鈴木さんの親戚を訪ねます。
そして、鈴木さんが遺した1500枚におよぶ写真と出会います。
そうして、絵本づくりが始まってきいきますが、
指田さんはそれだけでなく、
鈴木さん一家がどのように亡くなったかそのあともたどっていきます。
あるいは、鈴木さん一家が暮らしていた町の様子も
当時の資料とその頃を知る人から話を聞いて
立体的に組み立てていきます。
指田さんのそういった熱意がなければ、
鈴木さん一家のことはこれほど多くの人に知られることもなかったでしょう。
絵本『ヒロシマ消えたかぞく』を読んだ読者なら
ぜひこの「あしあと」も読んでみてもらいたい。
そして、これから読まれるならぜひ2冊合わせて読んでもらいたい。
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想像してください、この一家のあっただろう生活
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投稿日:2023/10/10 |
原爆ドームに隣接する広島平和記念公園には
広島平和記念資料館をはじめとしてたくさんの記念碑・記念構造物があります。
資料館で原爆のもたらした悲しみはぜひとも実感してもらいたいですが、
その資料館から北に向かって歩いて5分ばかりのところに
「被爆遺構展示館」という小さな施設があります。
2022年3月に開館した新しい施設で、あまり見学者も多くありませんが、
ここはぜひ見て欲しいところです。
平和記念公園は今はきれいに整備されていますが、
原爆がおとされた当時、ここには多くの人が暮らす普通の町だったのです。
その爪痕が残る住居跡や道路跡を露出展示しているのがこの施設です。
この遺構を見ることで、消えてしまった日常があったことを実感できます。
平和記念資料館もそうですが、この展示館には多くのことを考えさせられます。
『ヒロシマ消えた家族』という絵本にも同じことがいえます。
表紙の折り返しにこう記されています。
「これは、太平洋戦争末期の昭和20(1945)年8月6日、
広島に一発の原子爆弾が落とされるまで確かに生きていた家族の記録です。」
この絵本には原爆の悲惨な写真はありません。
あるのは、広島市内で理髪店を営んでいた鈴木六郎さん一家の
どこにでもある日常の記録です。
写真好きのお父さんがいて、笑顔のやさしいお母さんがいる。
おにいちゃんと妹のなんとかわいいことか。
一家にはさらに弟と妹が生まれます。
そんなどこにでもある一家が、原爆によって、全員命を奪われます。
この絵本に写っている一家のこと、「被爆遺構展示館」で見ることができる町の姿、
どこにでもあることが一瞬に消えてしまう恐ろしさを
人類はどうして忘れてしまうのでしょう。
鈴木六郎さんのアルバムから一冊の絵本に仕上げてくれた指田和(さしだかず)さんに
ありがとうというしかありません。
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「時」をテーマにした児童文学の名作
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投稿日:2023/10/08 |
臨床心理学者の河合隼雄さんと詩人の長田弘さんの対談集『子どもの本の森へ』で、
冒頭絶賛されていたのがこの『トムは真夜中の庭で』だ。
イギリスの作家フィリパ・ピアスによる児童文学で、本国では1958年に出版されている。
それから間もなくして日本でも翻訳されている。
岩波少年文庫の一冊として出たのは1975年。
そこで少し考えてみた。
河合隼雄さんは1928年生まれ、長田弘さんは1939年生まれで、
そうすると二人がこの児童文学を読んだのはおそらく子どもの時ではなく、
大人になってからのはず。
大人が児童文学のページを開くということはなかなかないことで、
そのことからも二人の感性のありかたに感心してしまう。
そして、児童文学というジャンルの作品であって、
大人の読者の鑑賞にも十分耐えうるという証でもあるだろう。
この物語は簡単にいうと、
「時」をテーマにしたファンタジーといえる。
せっかくの夏の休暇というのに、弟のピーターがはしかになったために
トムは感染予防で遠いおばさんの家で過ごすことになる。
その家の真夜中、古時計の音に誘われて、トムが裏口の扉を開けると
そこには美しい庭園が。
トムはその庭園で一人の少女と出会うのですが、
彼女は会うたびに成長したり幼くなったり。
トムが「真夜中の庭」で体験する不思議なできごと。
子どもにとって「時」は永遠に続くものと感じるかもしれない。
大人はどうだろう。「時」は限られているだろうか。
この物語のラスト、この二つの「時」が重なりあう。
それが感動を生み出す、これはそんな児童文学である。
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悪はいつでも文学の大きなテーマ
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投稿日:2023/10/05 |
『中学生までに読んでおきたい日本文学1 悪人の物語』(松田哲夫 編)
全10巻からなるこのシリーズのこれが最初の巻ですが、
そこにあえて「悪人の物語」をもってくるのがこのシリーズの面白さともいえます。
各巻に編者である松田哲夫さんの「解説」がついていて、
今回その中で松田さんはこんなことを書いています。
「人類が考えたり楽しんだりするために生み出した文学にとっても、
悪の問題は決して避けて通ることができない重要なテーマ」であり、
「多くの書き手は、悪をとても魅力的なテーマだと考え」てきたと。
最近の作家たちも「悪」をテーマに多くの作品を残していますから、
これからもなくならない文学の大きなテーマです。
シリーズ1巻めとなるこの本に載っている作者と作品は以下のとおり。
山村暮鳥 げい語(詩です。タイトルの「げい」は正しくは漢字表記です)
森銑三 昼日中/老賊譚(泥棒のお話)
芥川龍之介 鼠小僧次郎吉(芥川はこんな面白い短編も書いてます)
中野好夫 悪人礼賛(ちょっとハスに構えたミニ論説文)
野口冨士男 少女(誘拐を扱ったもので、ラストが印象的な作品)
色川武大 善人ハム
(かつてはこの物語に出てくるような馬鹿正直でちっとも得をしない男がいたもの。
色川さんは麻雀小説を書いた阿佐田哲也としても有名)
菊池寛 ある抗議書(菊池寛は大衆文学かと思っていたが、これはシニカル)
小泉八雲 停車場で(怪談だけではない、八雲の魅力)
吉村昭 見えない橋(刑期を終えて更生する男を描いた作品で、吉村さんが大切にしたテーマ)
柳田国男 山に埋もれたる人生ある事(わずか3ページながら余韻が残る)
この巻では色川武大さんと吉村昭さんの作品がおすすめです。
読書の面白さを堪能あれ。
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そっけないタイトルに星新一さんの思いがあるのかな
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投稿日:2023/10/03 |
『星新一ショートショートセレクション7』(理論社)。
表題作である「未来人の家」をはじめとして、15篇の「ショートショート」が収められた、児童書。
装幀・挿絵(それぞれの作品にひとつ挿絵がついています)は、和田誠さん。
装幀を担当している和田誠さんは星さんの子ども向けの作品に多くの絵を提供しているが、そのことについて和田さんはこんなことを言っている。
「多くの画家は大事なオチを絵にしてしまうから」だと。
そのあたりが星さんに気に入られたのだろうが、オチを気にするということでいえば、作品のタイトルの付け方もそんな感じがする。
この巻でいえば、「出現と普及」「金銭と悩み」「風と海」「石柱」「吉と凶」といった、実にそっけない、タイトルからストーリーは想像もできないものが多い。
そういう点にも心を配ったのではないだろうか。
表題作の「未来人の家」などは、なんとなく未来の人が住む家の話だとわかる。
この家は未来人がタイムマシンで運び込んだ、すべてが全自動の便利な家。
それを手にいれたエヌ氏だったが、ある時家の様子がおかしいことに気がつく。
この家は設置された時計ですべての作業、掃除とか炊事とかが設定されているのだが、それが少しずつ遅れているではないか。
この話など、単に便利な未来の家ということではなく、オチは未来人が持ち込んだところにある。
はて? その理由(わけ)は。
和田誠さん流に「お楽しみはこれからだ」。
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もしかして周りにセミをこしらえていないか
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投稿日:2023/10/01 |
1986年に公開されたアメリカ映画「ザ・フライ」は
B級映画ながらいまだ根強いファンをもつカルト映画といっていい。
もともとは1958年公開のホラー映画「ハエ男の恐怖」で
人間が誤ってハエ男に変わるという、怖い作品なのだ。
ハエも怖いけれど、セミだってかなりグロテスクだ。
表紙のスーツにネクタイをしたセミ男の姿は
どうみてもかわいいとはいえない。
そのセミがニンゲンの世界の、高いビルの一角で
データ入力の仕事をして17年になるという。
欠勤もしないし、ミスもしない。
それでもニンゲンはセミに感謝もしないし、昇進もさせない。
ニンゲンの同僚はセミを馬鹿にするし、
会社にはセミ用のトイレもない。
しかも、セミには住む家もなくて、会社の隅っこで暮らすしかない。
そして、セミは17年めで定年を迎える。
オーストラリアの絵本作家ショーン・タンの『セミ』は
不思議な世界を描いた作品だ。
定年を迎えたセミは会社の屋上で脱皮して、
りっぱな羽をもった赤いセミになる。
空にはそんなセミがたくさん飛んでいる。
人間たちがニンゲンでないことで虐待することは
セミにかぎらず今やたくさんの事例が証明している。
ニンゲンとは自分とは同じものではないということ。
人種であったり国であったり性別であったり言語であったり。
私たちはたくさんのセミをこしらえていないだろうか。
いつかそんなセミたちが復讐してこないとも限らない。
岸本佐知子さんの訳がいい。
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