真夏の青いお空の下。妹のよしこと私は馬に引かれた荷車からこぼれ落ちる大豆を拾いながら、となり町までついていく。 その日のお昼、お母さんは赤ちゃんを生んだ! 私もよしこも嬉しくて顔をのぞきこんだり、髪の毛にさわったりして母さんに何度もしかられた。 夜空の星も輝いていたそんな日の真夜中。 その時がやって来た。 けたたましい空襲警報のサイレンが鳴り、家族はみんな逃げ出します。 お母さんは生まれたての赤ちゃんをしっかり抱きしめています。 わたしとよしこの近くで焼夷弾が炸裂して、わたしたちはふきとばされた。 あっよしこの手がはなれ・・・
少し前の時代だけど、どこにでもあるような夏の日の家族の風景からは、ほのぼのとした幸せな感情さえわき上がってきます。でも、その一瞬後なんです。この恐ろしく悲しい出来事が起こったのは。よしこが燃えたのです。そしてこの頃、世界中のたくさんのよしこが死んでしまったのです。
決して忘れることのない体験をされているたかとうさんと、やはり戦争の体験をされているたじまさんの迫力ある絵による、どこまでも本当の話。「恐い」ということはわかっていても、この本当の話に私達は真剣に向き合わなければならないのです。なぜなら、戦争の体験のない私達が戦争の本当の恐ろしさを知るには、追体験するしかないからです。 そして子どもたちも、追体験をしながら想像力で戦争を知り、平和を強く願っていかなければならないのです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
夏の日差しはきのうと変わらないのに、よしこは、よしこはもう、いない――
今ではとおい昔になりましたが、まるできのうのことのようです。 おそろしい戦争があって、日本の町という町が空襲にあい、焼け野原になりました。 1945年7月3日の夜、わたしの悲しい出来事が起こります。あれから67年。 わたしはすっかりおばあさんになりました。あのとき、よしこは3歳、わたしは 小学校一年生でした――。
戦争中の日常が淡々と語られています。
姫路の空襲で、妹のよしこが火達磨になり
大やけどを負う様子さえ
グロを通り越し、ただ淡々と語られるのが
かえって胸に迫るものがあります。
ひどいやけどの手が気になるのか
「おててきれいにして」という言葉を残し、亡くなるよしこ。
最後に「こうしてたくさんのよしこが死にました」と締めくくられるのが
そこにあった現実を、より浮き彫りにしていると感じました。
先日、学徒動員で戦闘機のエンジンを作っていたという方のお話を聞いたとき
工場が空襲にあい、友達が沢山なくなったと言われ
「亡くなる」なんてきれいな言葉でなく
「死んだ」というのが、当時の現実と言われた言葉を
なんとなく思い出しました。 (やこちんさん 40代・ママ 女の子8歳)
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