
「牛が消えた村」で種をまく ―「までい」な村の仲間とともに―
「日本一、美しい村」とよばれた村が、福島県の北東部、阿武隈山地にありました。その村「飯舘」は「までい」な村とよばれます。
「までい」とは、この地方のことばで、「手間ひまかけて」「ていねいに」「心をこめて」といった意味があります。
この村の美しさは、村の人たちが、「までい」に田畑をたがやし、牛を飼い、村づくりを続けてきたたまものでした。乳牛50頭を飼う長谷川健一さんも、酪農家の仕事のかたわら地域の区長として、「美しい村」づくりを率先してきました。
その村に、放射性物質が降り注ぎました。そして、村には全村避難の指示が出され、「美しい村」は、「だれも住まない村」「牛が消えた村」になってしまったのです。
それでも、長谷川さんは「美しい村」が、家族や仲間とともに暮らした家や集落が、荒れ果てていくのを、ただ見ていることはできませんでした。
そこで、ふたたび、仲間とともに草を刈り、畑をたがやし、種をまきはじめます。

何か災害が起きた時、人間だけは最優先で助けられる。
けれど農地は・・・ 家畜は・・・
それが人間が生きる為の糧になるものだったとしても、助けられるのは人間だけ。
その現実を目の当たりにした方達の哀しさ、悔しさが伝わってきます。
月日が経つと、ますます元の生活には戻れないだろうことは誰もが感じ取ってはいるけれど、それでも自分が生きてきた場所をどんな形でもいいから守りたいと思う気持ちをもっと多くの人に知ってもらいたいし、伝わっていって欲しい。
そんな風に思うラストでした。 (hime59153さん 40代・ママ 男の子10歳)
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