![みどころ](/images/shoukai_midokoro.gif)
古(いにしえ)の日本。そこは、今では考えられないほど巨大な木々が生え、妖怪たちが山を歩きまわる世界。
これは、一本の巨木と、その森に住む人ならざるものたちの物語。 人々は田畑が日陰になるのを嫌い、その巨木を切り倒します。 田畑に陽が当たり人々は喜びますが、しかし怒りにふるえるものたちも――。
森に住む百の鬼たちです。
「いくさをして、人間どもをひとり残らずほろぼしてしまいましょう」
美しい女の姿をした鬼が言います。 しかし、ツノをはやした恐ろしい顔の鬼は、それに反対します。
「人間は木の本当の大切さを知らない。それを人間たちに教えてやろうではないか」
そして都では、鬼たちによる不気味な事件が起こりはじめます。 柱から伸びる、無数の子どもの腕。 寝静まった人の顔をなでる、濡れた手。
人々は恐れながらも、なにかみずからのおこないがそれを招いているらしいと、やがて気づきはじめます——。
「今は昔」のフレーズではじまる、日本古来の説話集「今昔物語集」。 そこに収められたいくつかのエピソードをもとにして、あらたな物語として構成したのがこの「鬼のかいぎ」です。
神仏や怪異を現実にあるものとしてとらえていた時代につくられた説話は、「古い時代にはもしや本当にこんなことが……」と思わせる、まか不思議な緊張感をまとっています。 自然との共生をテーマに原作を編集した本作においても、自然をないがしろにするおこないに対する危機感や恐怖を、切実な雰囲気で演出しています。
そして、なんといってもいちばんのみどころは、登場する百鬼たちの姿。 描くのは、「給食番長」シリーズで人気のよしながこうたくさんです。 まがまがしく不気味な姿をしていながらどこか愛嬌もある鬼たちは、その強烈な印象に目がくぎづけ!
すこし手にとるのが怖いほどおそろしい形相の鬼が表紙に描かれていますが、よしながこうたくさんの描く多種多様な百鬼の姿を、ぜひ味わってみてください。
(堀井拓馬 小説家)
![出版社からの紹介](/images/shoukai_shuppansha.gif)
時は平安、都の近くの巨木が人間の都合で切られてしまいました。それに怒った鬼たちが森に集まり、会議をはじめましたが…。今昔物語を下敷きに、自然の使いである「百鬼」の闘いをユニークに描いた創作絵本
![ベストレビュー](/images/shoukai_bestreview.gif)
「でんせつのきょだいあんまんをはこべ」で話題のよしながこうたく先生の迫力ある絵に期待し、読みました。
「今昔物語集」の説話を種に書かれたこの作品は立松和平さんらしい作品だと唸りました。
これが遺作になったとは、残念です。
昨年度の小学校の「卒業おめでとうのお話会」で、最後に司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」を紹介しました。
彼もまた、昔も今も変わらないことは“全ての生き物は自然に依存しつつ生きている”こと。
“人間も自然によって生かされてきた”こと。
先人は、“自然を畏れ、その力を崇め、自分たちの上にあるものとして身を慎しんできた”こと。
等々、力強く筆で訴えています。
こちらの作品を読み、絵本の形でも、こんなに子どもたちに切々とメッセージを語りかけられるのかと感動しました。
今では想像もつかないほどの大きな木が、その木の陰になる村の稲作の生育の邪魔になると切られていまいました。
人間の生活は潤ったかに見えましたが、都のはずれの森の鬼たちが怒り出し会議を開きました。
この鬼たちの姿・様子は迫力のある絵で恐ろしいのですが、彼らの下した決断のなんと賢く寛容な事か。
彼らのなんとも可愛いらしく愉快な人間への警告とも言える働きかけに小さな読者さんは喜ぶことでしょう。
人間たちは気づき、大木へ謝りお祓いをします。
ここで本来は“めでたし めでたし”なのでしょうが、立松作品は自然への畏れが薄くなった現代の私たちへのダイレクトなメッセージをもって、お話を閉じています。
司馬さんのいうとおり、“人間は決して愚かではない。自然に対し、いばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わって行くに違いない”というあくまでも人間を信じた気持ちを裏切りたくないものです。
高学年にお薦めだと思います。 (アダム&デヴさん 50代・ママ 男の子13歳)
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