小説家の枠を超えて活動を続けていて急死した立松和平の遺作が絵本というのも不思議な気がしますが、この絵本には立松さんの追求した仏教哲学、環境問題への思いが集大成として取り込まれているように思います。
琵琶湖の近くにある想像もつかない大木は、人々の自慢でありながら大樹の陰となる村では稲作を邪魔する厄介者。
村人は大木を切ることを願い出て、帝はそれを受け入れたのでした。
木のなくなったことに怒った百匹の鬼たちが話し合い、人間たちへの戒めを始めます。
過激な鬼もいる中で、穏健派の鬼もいる。
穏健な鬼たちの活動は人間の前では歯が立たず、次々と倒される大木を守りたいという環境保全の思想も伝わりません。
再び結集した百鬼たちの出した結論は、何百年、何千年かかろうとも環境保全の思想を人間にわからせようというものでした。
鬼たちは物の怪として様々な自然現象を起こします。
やっとそれに気づいた人々は反省し祈祷したのです。
けれども、開発は止まらなかった。
話は現代に移り自然破壊は続けられます。
最後は立松さん本人の願いとして、自然破壊の収束を訴えて終わります。
立松さんは、処女作『遠雷』から一貫して自然との共存を願い続け、環境破壊への問題提起を続けてきた作家です。
時に小説の中では破滅的な描写を続けながらも、当人は決して強行的な主張をする人ではありませんでした。
立松さんが生きていたら、あの大災害をどのように記述するのだろうか。
絵本を読み終えて思いました。
『飼育係長』、『あいさつ団長』のよしながこうたくさんの絵ですが、この本は子供向けではなさそうです。
今昔物語に題材を得た立松さんの願いをしっかり受け止めました。
合掌。