9歳の我が子と一緒に読んだ後、
3年生のクラスで読みました。
3年生の授業で「異文化交流」というものがあり、その中で
韓国の文化を体験することもあり、韓国の昔話を選びました。
「おもしろい話が聞きたい」というハルモニ。
お話が思いつかないから「布と取り替えてもらおう」と
出かけていくハルボジ。
「いやいや、取り替えてくれる人なんてないから」と、
心の中で突っ込んでしまう私。
案の定、だれも本気にしてくれなくて、帰途につくハルボジ。
「普通そうでしょう」と、ついつぶやいてしまう私。
なのに、偶然会った親切なんだかなんだか知らないおじさんが、
おもしろい話を教えてくれます。それも、身振りを交えて。
大の大人二人が何をやってるんだか。
またまた突っ込んでいる私。
お話を待っていたハルモニは、ハルボジのお話を
とても喜んでくれます。よかったですね。
で、終わらないこのお話。
小さな子どもたちは、身振り手振りがおもしろいらしいし、
大人にとっては、それ以外のやりとりなどに、笑いのツボがあり、
読み手それぞれがいろんなところを楽しめるお話だと思いました。
文中ではハルボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)、などの
言葉が使われていますが、やはり、日本語に訳さないのには
わけがあるのだろうと思いました。
なかでも、「アイゴー!」は、
まったく事前の説明もせず、そのまま、「アイゴー!」と読みました。
そういう気持ちなんですよね。
中途半端に日本語に訳してしまえば、気持ちが伝わらなくなるような
気がしました。
自分自身は関西出身ですが、夫の東京転勤のため
こちらに出てきて、はや13年。
やはり、細かな気持ちの動きなどは生まれ育った土地の言葉でないと
言い表せない部分も多いです。
そう思うと、やっぱり「アイゴー」は「アイゴー」なのだと
しみじみ思いました。