「ねえ、うみのむこうに、ゾウっていう いきものが いるんだって。 もしかしたら あんたのなかまじゃないかしら。」 この島に一頭しかいないゾウガメのこうらの上で、小さなヒワはうれしそうに話す。 ゾウガメは固くて石のようなむねがどきんとなり、こおどりしたい気持ちになった。 「あたしが たしかめてくる。 あんたは だいじな ともだちだから」 ヒワはゾウガメのために、まだ見たことのない「ゾウ」を探しに飛び立っていった。
ともだちだとヒワは言う。だけどそんなわけはないじゃないか、心の深いくらがりでゾウガメは呼びかける。 実際ゾウガメには「こえ」というものがない。ヒワの語りかける言葉に返事をすることができない。その上、ゾウガメはそうやってともだちになった小鳥たちが、みんないなくなっていくことを知っているのだ。 ヒワだって、いつかいなくなる。だったら、ともだちになどならないほうがいい・・・。 やがてヒワが姿を見せなくなり、最初は何とも思っていなかったゾウガメは、いてもたってもいられなくなり、地響きをたてながら島じゅうを探しまわった。そして、崖にあがり、海の向こうのはるか彼方に目をこらすのだった。
ともだちとは。かけがいのない存在とは。 ずっと一緒にいられること? なんでも話し合えるってこと? 長く生きるゾウガメにとって、ヒワの存在はあまりにもはかなく不確かなもの。だけど物語の中で、二人の強い思いはお互いの心に届くのです。 その瞬間、読者の心にはどんな気持ちが生まれてくるのでしょう。誰のことを思い浮かべるのでしょう。
ミロコマチコさんの描く、多くは語らないゾウガメの、でもその意思の強さを感じる表情。山のようにそびえたつゾウガメに対して小さく可憐に飛び回るヒワ。それらの絵の力がさらに心に迫り、読み終わった後も忘れられない1冊になりそうです。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)
長く生きるものの宿命として、今までたくさんの友達を見送ってきたゾウガメは、そんな思いをするなら、もう友達などいらないと思っていた。だから、毎日、自分の甲羅に乗って、おしゃべりしにくるヒワのことがうっとうしくてならない。でも、ある日、自分と同じくらい長生きの「ゾウ」という生き物の存在を知り、ゾウガメは胸がおどった。そんなゾウガメのために、ゾウをさがしてくると言って、海のかなたに飛びたったヒワだったが、幾日も戻らなくて……。自分の身近にいる、かけがえのない大切な存在に、改めて気づかせてくれる作品です。
淡々とした文章運びの中に、重厚かつ繊細な表現がちりばめられていて、魅せられてしまいました。
いくつめかの たいようが うみから うまれた あさのこと。″こんな表現に出会うと、読んでいてお話の中に連れ込まれてしまいます。
さて、お話は、島に一頭しかいない気難しそうなゾウガメ。
勿論亀ゆえに、おしゃべりもなくこともできない。
そんなゾウガメの甲羅の上にとまっている一羽のヒワ。
明るくおしゃべりで、人生を謳歌する若い女性のようにも思えます。
このヒワの話によると、海の向こうにゾウという生き物がいて、その様子はゾウガメに似たところもあるようで、・・・・・・。
ここで、一方的に話すヒワの言葉に、内心喜ぶゾウガメの心象風景を表す文章がまた素敵です。
さて、ヒワは、「大丈夫。あたし確かめて来る。あんたは、大事な友だちだから、あたし頑張る」と旅立ちます。
このヒワのストレートで素直な思いの吐露にも心動かされます。
他の動物より長い年月を生きてきたゾウガメにとって、出会いは別れ(消失)と背中合わせで、命の儚さに大方失望していたので、ヒワが翌日から来なくなっても平気のようでしたが、・・・・・・。
終盤、ゾウガメが胸の内で、ヒワに語った言葉がまた心の奥に響きます。
この言葉が、ヒワに聞こえたというところで、涙がこみあげてしまいました。
このような気持ちで、家族をはじめ出会う人たちと向き合い共に生きていきたいと改めて思いました。
人生には、失ってから気づく尊いものがいかに多いことでしょう。
取り返しのつかない事態にならなければ、気付けないことも多く、それもまた未完に造られた我々人間の宿命でしょうか。
素晴らしい作品でした。
6年生の卒業おめでとうおはなし会″の候補作品として今年度は推したいと思います。 (アダム&デヴさん 50代・ママ 男の子16歳)
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