★作者の宮川ひろさんからのコメントです。
『だっこの木』によせて 浅草の戦災樹木のことを知ったのは、或る会の通信の一頁にのせてあった記事からでした。 早速会いに行ってみました。六,七年ほども前のことです。その木は正面の観音様からは、少しはずれた右側に立っていました。こちらから見るとどこにも傷などない立派な大木です。それが反対側へ回ってみると、木の芯までも深く焼け落ちて人がすっぽりと入れるほどの、大きな空洞になっているではありませんか。内面には六十年も前のあの東京大空襲で焼けた日の炭を黒く付けたままです。それでも焼け残った周りの樹皮だけで、しっかりと立って梢をさわさわと風にゆらせていました。 私はその空洞のなかにしゃがみこんで、老木の声を聞いていました。そして戦中戦後を生きて、今をいきている自分とを重ねていたのです。 あの戦火をくぐりぬけてきた日のことをこの戦災樹木に語ってもらいたい・・・。そんな願いからこんな作品が生まれてきました。
太平洋戦争末期、浅草寺の大きないちょうの木は、幼いカズヤとなかよしだった。しかし、戦争が激しくなってカズヤは母と共に疎開していく。そして、東京大空襲の日、燃えさかる火の中、木はカズヤとの再会を夢見て頑張るが…。
【編集部より】 浅草寺に実際、今もある戦災木…東京大空襲によって幹の半分が深くえぐれ、うろ状態になったいちょうの木にインスピレーションを得て、宮川ひろ氏が、心に迫る物語を紡ぎ出してくれました。当初三人称で短編として「びわの実」に入れられた作品を、絵本にするにあたって、「木の語り」に変えました。物言わぬはずの木の、静かな中に戦争への深い悲しみや怒りをこめた語りが読み手の心をうちます。また、渡辺洋二氏の絵も、どこか幻想的な中、決して声高ではない、平和への祈りをこめたものです。
戦争の話です。
浅草観音のそばにあるイチョウの木は、カズヤ一家に愛され、カズヤ家族に親子三人で手をつないでだっこする「だっこの木」と名付けられました。
日本が戦争に突入し、カズヤ一家のお父さんは戦争に行きました。
東京に空襲が始まって、カズヤは疎開していきました。
残されたイチョウはどこへも行けません。
空襲の中で耐え抜いたのです。
戦争の話によく登場する、樹木の見た世界はとても貴重です。
戦争をはさんで起こった出来事、社会の移り変わりを見続けている生き証人なのです。
お父さんは戦争で亡くなりました。
カズヤとお母さんがイチョウを訪ねてきたとき、イチョウには戦禍で大きな空洞ができていました。
戦争を語り続けるイチョウに、戦争の傷跡が残りました。
そして、その空洞は母子にとってお父さんを思い出す空間だったのでしょう。
カズヤは大きくなって孫とイチョウを訪れました。
カズヤは自分の父親と、戦争の悲惨を伝えたかったのです。
渡辺洋二さんの絵がほのぼのとしていて、戦争のつらさがオブラートにくるまれたように心の中で溶けて拡がります。
戦争は人々の身近にあったことを痛感しました。 (ヒラP21さん 50代・パパ 男の子14歳)
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