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ジィちゃん、カッコイイ!!
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投稿日:2020/10/18 |
ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんに「奇妙なワシ」という短いエッセイがあります。
スポーツ紙によく使われる「ワシ」という人称代名詞に違和感を持つという主旨のエッセイですが、スポーツ紙に限らずテレビでも中国や韓国の人の翻訳音声にはさもそんな言葉づかいをいているだろう言葉が使われているし、シニアの人のそれにもひと昔前のお年寄りが使っていたような話しぶりが出て来たりして、首を傾げたくなります。
この絵本に登場する「ジィちゃん」も描き方もそうです。
小学2年生の男の子のおじいちゃんといっても、今のおじいちゃんはせいぜい70歳前後で吉田尚令(ひさのり)さんが描くような人は少ないのではないでしょうか。
おじいさんといえばこんなイメージという最大公約数のような書き方があるのかもしれませんが、昭和の時代のおじいさんとは比較にならないほど若くなっているので、絵本の書き手も難しい時期にさしかかっています。
それでも、この「ジィちゃん」はピンクのTシャツ、しかもうさぎ柄です、を着て、何やら風変りです。
これでは孫もひいてしまうかも。
でも、この「ジィちゃん」は実はスーパーじいちゃんで、運動会でPTAのリレーに出るはずだったお父さんの代わりに走ることになって、みんなの度肝を抜く大活躍をしてみせるのです。
そうでしょう、人は見かけによらないのです。
若いおじいちゃんでこの絵本を描くとなかなか物語が成立しないかもしれません。
やっぱり「奇妙なワシ」は必要だともいえます。
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まど・みちおさんにつながって
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投稿日:2020/10/11 |
童謡「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」で知られる詩人まど・みちおさんは、明治42年(1909年)に現在の山口県周南市で生まれました。
亡くなったのが、平成25年(2013年)、104歳の見事な人生でした。
まどさんが存命中の2011年に周南市で「こどもの詩 周南賞」の募集があり、作詞部門優秀賞を受賞したのが、林木林さんの「みどりのほし」という詩でした。
それに谷川賢作さんが曲をつけられ、楽曲として歌われています。
この絵本は、その詩がもとになって2020年7月にできあがりました。
絵本の文も、詩とは少し違っています。(この絵本のおしまいに楽譜付きでもとの詩も載っています)
絵を描いたのは、この時の審査員の一人でもあった長谷川義史さん。
世界が大きく広がりました。
「みどりのほし」という詩には、この星はみどりでいっぱいで、みどりというのは野菜や果実のことで、その頭つまりへたのところは星の形をしている様子が描かれていますが、絵本ではさらの子供たちの手が星のようになって、それがつながって大きな星座をつくるところまで広がっています。
これは、まどさんの世界観に合わせたものだと思います。
まどさんに「どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている」という言葉があります。
この言葉そのものがこの絵本の大きなテーマです。
2011年の詩がコロナの時代に大きな命を与えられて絵本になったのではないでしょうか。
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昭和という時代に育って
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投稿日:2020/10/04 |
石川えりこさんの絵本に魅かれるのは、その作品に自分が育ったものと同じ匂いや光を感じるせいだ。
昭和30年(1955年)生まれの石川さんだから、その匂いや光は昭和のそれといっていいかもしれないが、ちがった言い方をすれば幼い時に見た風景がそこにあるからだともいえる。
この『あひる』という作品に描かれている日常もそうだ。
そこに描かれているのは、飼っているにわとりが生んだ卵を食べ、年をとったにわとりは「しめて」鶏肉というごちそうになる、そんな日常だ。
おそらく現代の子供たちは鶏肉は食べてことがあっても、「しめて」という行為は知らない。
石川さんも私も、「しめて」鶏肉を食べた世代だ。
ある日、姉と弟のきょうだいの家に一羽のあひるがやってくる。
家の前の川であひるを、お父さんのつくってくれた木の船(この船の絵が昭和生まれにはたまらなく懐かしい)と泳がせたたりしていた。
ところが、そのあひるがいなくなった日、きょうだいの家の夕ご飯は野菜とお肉がいっぱいの豪華な鍋でした。
姉は、もしやと気づきます。
弟も心配になって、お母さんに「あひるの肉じゃないよね」とたずねます。
お母さんは違うと答えてくれたけれど、姉はもうわかっています。
自分の周りの現実を知る年齢になっていたのでしょう。
にわとりを「しめて」鶏肉として食べることは残酷でしょうか。
石川さんや私が小さかった頃、そうやって「いのち」を感じとっていったのです。
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感謝がつながっていく
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投稿日:2020/09/27 |
この絵本が出た2017年にある雑誌に作者の石川えりこさんはこんなことを綴っています。
「小さなころ、誕生日や父のお給料日には必ず街の本屋さんへ連れて行ってもらい、本を一冊買ってもらいました。(中略)そうやって私の本棚には、「とくべつな本」が一冊ずつ増えていきました。」(月刊「こどもの本」2017年10月号)
石川さんは昭和30年生まれですが、その頃のこの国はまだそんなに豊かではありませんでした。
つぎあてをした服や鼻水にてかてかになった袖口の服など当たり前であったそんな生活で、きっと石川さんのようなお父さんがいること自体とても恵まれたものだったと思います。
お父さんがどのような大人になることを娘に願っていたのかわかりませんが、少なくともそうやって読んできた本たちの結晶がこうして一冊の絵本になったのですから、本の力、お父さんの優しさはすごいものだと思います。
そして、もう一人、この絵本に影響を与えたのが絵本作家の田島征三さんでした。
先の雑誌の中で、田島征三さんが新潟に美術館の立ち上げる準備をした際に手伝いをしたことが書かれています。
海に流れついた流木で何かを創り出す、この絵本に出てくる絵描きは田島征三さんがモデルだったみたいです。
絵本の最後に書かれた石川さんのメッセージ、出会った本と出会った絵描きへの感謝の意味がこれでわかりました。
そして、そんな石川さんが描いた絵本に読者もまた感謝です。
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誰かに手渡したくなる絵本
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投稿日:2020/09/22 |
絵本の名作には、おばあちゃんが子供の時に読んで、子供が生まれたらその子も読んで、その子が結婚して子供が誕生したらその子も読んでいる、そんな何代へと続く名作があります。
もしかしたら、この絵本もそんな名作になるのではないか、そんな気がします。
2018年秋に出た絵本ですから、何代も先の子供たちが読むのはまだまだ先のお話ですが。
ずっとむかしのお話です。
広い草原に一匹のライオンが住んでいました。その草原にはこのライオン以外に動物がいなく、ライオンは草や虫を食べていました。
そんなある日、ライオンは一羽の鳥と出会います。
久しく肉を食べていないライオンでしたが、鳥を食べることはしませんでした。
お腹は減っていましたが、それよりも誰かと一緒にいることを選びました。
でも、いつか別れがやってきます。
ライオンは弱っていく鳥に「おれは、ただあんたといたいんだよ」とおいおい泣きます。
鳥は「100年たったら、また会える」とライオンを慰め、死んでしまいます。
そうして、100年経ちました。
ライオンは貝に、鳥は波になっていました。
そのあとの100年、その次の100年、ライオンと鳥はそのたびに姿を変えて、それでもかつてはどこかで会ったことがある記憶だけが残っています。
何度目かの100年、二人は男の子と女の子になってめぐりあうのです。
絵本は子供だけのものではありません。
大人の人でも十分に鑑賞できる作品があります。
この作品がまさにそう。
何代へと続く人たちに読んでもらいたい、そんな一冊です。
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明日へ蹴り出せ!
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投稿日:2020/09/13 |
「かんけり」という遊びを知っていますか。
空き缶を使ってする遊びですから、子供たちには危ないという人もいるかもしれませんし、漫画「ドラえもん」に出て来るような空き地ほどのスペースも必要ですから、なかなか現代の子供たちにはなじまないかもしれません。
では、「かんけり」がどんな遊び(だった)か、この絵本の文から説明しましょう。
絵本では全文ひらがな表記ですが、ここでは漢字まじりで書いておきます。
「鬼が30数える間に、みんないそいで隠れます。鬼は隠れた人をみつけると、名前を呼びながら缶を踏みます。まだつかまっていない人は、鬼より前に缶を蹴り、みんなを助けます」
かくれんぼ遊びの変形のような遊びです。
昭和30年代の頃はよく「かんけり」をしたものです。
おもちゃなんかあまり買ってもらえなかったですから、空き缶を使ったり新聞紙を使ったりして遊んだものです。
そのことでいじけることはなかった。だって、みんなそんな暮らしぶりでしたから。
この絵本の作者石川えりこさんは1955年生まれですから、そんな時代に大きくなった世代です。
でも、この絵本はただ懐かしい遊びを描いたものではありません。
主人公のちえちゃんは少し引っ込み思案の大人しい女の子。
かんけりでも缶を蹴るのが怖くて、まだ誰も助けたことがありません。
この日は違います。ちえちゃんは最後まで鬼に見つかっていません。つかまったみんなを助けられるのは、ちえちゃんだけ。
最後に駆け出すちえちゃんのかっこいい顔を見ていると、すっきりすることでしょう。
まるで、明日への架け橋のような「かんけり」です。
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あの頃ボクたちは幸せだったろうか
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投稿日:2020/09/06 |
2020年の課題図書(小学校低学年の部)に選ばれた中川ひろたかさんの『おれ、よびだしになる』という絵本の絵を担当しているのが、この絵本の作者でもある石川えりこさん。
石川さんは1955年に福岡県で生まれ、小さい時から絵ばかり描いていたそうです。
幼少期の体験をもとにして描いたこの作品が実質的な絵本デビュー作です。
この作品で2015年には第46回講談社出版文化絵本賞を授賞したり、台湾でも賞をもらったりしています。
この絵本に出てくる「ボタ山」は、石炭を掘り出す時に出た石や土のことを「ボタ」といい、それが山になっていることです。
炭鉱の町ならではの風景です。
その「ボタ山」では石炭のくずも混じっていて、貧しい家では山からそのくずを取っていたそうです。
ここでは当時石川さんが住んでいた嘉麻というところにあった山野炭鉱でのガス爆発のことも描かれています。
昭和40年6月に起こった事故で、237人の炭鉱夫の方が犠牲になりました。
絵本ではなかなか友だちのできなかった主人公のえりこちゃんにできた唯一の友だちけいこちゃんの家族も事故に巻き込まれます。
けいこちゃん一家は事故のあと引っ越していきます。
決して豊かではなかった昭和30年代、40年代。
けれど、子供たちはのびのびしていたのもあの時代だったと思います。
友だちと遊んで、空まで飛んでいきそうなくらい幸せだったなんて、現代の子供たちは知っているのでしょうか。
幸せと豊かさはまた別のこと。
それを知るのも大切だと思います。
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この絵本と出会えた君は幸せ
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投稿日:2020/08/30 |
今年(2020年)の、小学校低学年の部の「課題図書」に選ばれた作品。
びっくりしたのは、大相撲の「よびだし」さんが絵本のテーマになっていること。
大相撲でいえばやはり横綱とかのお相撲さんに光があたって、「よびだし」さんはかなり地味な印象がある。
その「よびだし」さんになりたいという少年の成長する姿を描いて、本のジャンルでいえば「絵本」には違いないが、大人でも十分楽しめる一冊になっている。
この絵本が「課題図書」に選ばれて、多くの子供たちに読んでもらえるなんて、素晴らしい。
この世界にはどうしても光があたってしまう人がいる。
例えば、相撲でいえば横綱。とっても強い人。誰もがあこがれる。
だけど、横綱だけで相撲ができることはない。
あれだけの興行をするには、横綱のような光だけでない、もっとたくさんの人のがんばりがあるからだ。
「よびだし」さんもそんな一人かもしれない。
でも、この絵本を読んだら「よびだし」さんもかっこいいと思うのではないだろうか。
この絵本の主人公の少年も「よびだし」さんに憧れたように、ちょっと見方を変えれば、光があたっていないところにもまぶしいような光があることに気づくはずだ。
つまり、この世界は多様なものでできているということだ。
そのことを「よびだし」さんになっていく少年の姿を描いて教えてくれる、この絵本は感動的な一冊だ。
そして、「課題図書」でこの絵本に出会えた君は、幸せだ。
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原題でびっくり
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投稿日:2020/08/23 |
児童文学としてはあまりにも有名なこの作品が最初に刊行されたのは、1948年のアメリカです。
日本での出版は1963年ですから、そんなに早く翻訳された訳ではありません。
けれど、たちまち多くの子供たちに愛され、今では誰もが知っている名作になりました。
この作品は野良猫と親しくなったエルマーという9歳の男の子が、野良猫から遠くの島で捕らえられている竜のことを聞いて、一人で助けにいくという冒険物語。
そんなワクワクドキドキの物語を書いたのが、ルース・スタイルス・ガネットという女性だったのも驚きですが、書いた時彼女はまだ22歳だったというのもさらにびっくりします。
若い彼女がどうしてこんなにワクワクする物語が書けたのでしょうか。
それはもしかしたら原題と関係しているかもしれません。
この作品の原題は「MY FATHER’S DRAGON」。
「私のお父さんの竜」のお話なんです。
つまり、エルマーというのはお父さんの名前なんです。
娘にとって父親というのは、どんなに大変でもかわいそうな竜を助けにいくほど素敵な存在なのかもしれません。
それに、かわいい挿絵を描いたルース・クリスマン・ガネットというのは作者のスタイルスさんの義理の母親だというのもいい。
そういう裏話もいいのですが、一番いいのがやはりこの物語。
どうしてこの物語がいつまでも愛されているのか、その答えはエルマーが冒険に出る前に用意する色々な道具(それはキャンデイーだったり、チューインガムだったり結構どうでもいいようなものばかり)のせいかもしれません。
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犬だって結構純やで
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投稿日:2020/08/16 |
なんともわかりやすいタイトルやな。
そやけど、そのままやんけ、これ犬の話やろ。
この絵本を作ったのは、自称人形いたずら作家のペク・ヒナさん。韓国の絵本作家さん。
この人の絵本は独特やけど、独特というのはほめ言葉で、とっても力強い。
読んでて、力が湧いてくる。
というか、自分も人間やなと納得してしまう、そんな絵本や。
そやけど、これは犬の話やから、自分も犬やなと納得することはない。
グスリという雑種の犬が「ぼく」や。
何しろグスリのオカン(母親)はこのあたりのボスママで、ぎょうさん子供を産んでいるからグスリの異父兄弟はたくさんいる。
その数、なんと、数数えるのがじゃまくさくなるほどたくさん。
それをペク・ヒナさんは人形で作ったんやから、すごいな。
なかなかできへん。
そのページ見てるだけでも、感心してまう。
それにペクさんの人形のオモロイとこは、人間の造形。
グスリの今の飼い主、おとうさんも、その子のドンドンも、それにおばあちゃんも、こんな人たちおらんはずやのに、きっとその辺にいそうに思えるのがけったいや。
だけど、ホンマなんや。
そういう、どこにでもいないはずなのに、いそうというのが、ペクさんの絵本の面白さちゃうやろか。
そんなペクさんの絵本に長谷川義史さんの関西弁がこれまたよう合ってるんや。
関西弁にも生きる強さみたいなもんあるやん。
だから、ペクさんの絵本に合うんとちがうんかな。
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