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子を想う母、母をおもう子
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投稿日:2019/02/03 |
きつねにどんなイメージがありますか。
人を化かすというのはよく言われていますが、同じ化かす動物のタヌキの方はどちらかといえばおっとりしているような印象がありますが、きつねにはずる賢いみたいな悪い印象があるように感じます。
あのシュっとした細い顔つきがそんなイメージを生むのかもしれません。
その一方で、親子の情愛の深さを感じるのもきつねにはあります。
ぎつねのそばに子ぎつねがいる、そんな北きつねの写真などよく見かけるからでしょうか。
第8回ひろすけ童話賞(1997年)を受賞した戸田和代さんのこの作品では、そんなきつねのいいイメージがうまく表現されています。
ちなみに「ひろすけ童話賞」というのは、童話作家浜田廣介の偉業を讃えて設けられたもので2018年には第29回の賞が発表されています。
戸田さんのこの作品では可愛がっていたこぎつねを亡くしたかあさんぎつねが人間の子どもが遠くの病院に入院している母親に電話ボックスから電話をしているのを目にします。
「ぼうやがうれしいと、かあさんはいつもうれしいの」、そんな会話をこぎつねとしたことを思い出しながら、人間の子どもに自分のいなくなったこぎつねの姿を重ねるかあさんぎつね。
そういえば、かあさんぎつねは化けることができずにこぎつねをがっかりさせたこともありました。
でも、とうとうかあさんぎつねがあるものに化けることができるのです。
それは、なんと・・・。
こうして、人間の子どもを抱きしめながら、かあさんぎつねの胸に去来するのはこぎつねのこと。
しみじみと胸にしみこんでくる作品です。
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畑場所も千秋楽
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投稿日:2019/01/27 |
相撲は大きな力士の迫力ある取り組みも面白いが、小さい力士の技の見せ合いも楽しい。
だが、自分で相撲をとることはないが、自分のこしらえた力士を土俵にのせることはできる。
紙相撲だ。
子供の頃に自分で大小さまざまな紙力士をこしらえ、それに四股名(しこな)をつけ、対戦して遊んだことがある。
実況中継のアナウンサーも解説の親方も全部自分だけ。
行司までして、それでも力士の対戦が「とんとん」指で弾ける振動しだいというのもいい。
この絵本では野菜たちが力士になっている。
少ししこなで紹介すると、じゃが岳(じゃがいも)、はくさい丸(はくさい)、ぴーま岩(ピーマン)、かぼ春日(かぼちゃ)、といったぐあい。
そして、畑場所も千秋楽。
ここで描かれるのは、たまね錦(たまねぎ)とにんじ若(にんじん)、きゅう竜(きゅうり)となすび里(なす)そして結びの一番、横綱同士の対戦となる、すい海(すいか)とだいこの嵐(だいこん)の三番。
なかなか見応えのある取り組みだ。
なかでも、横綱同士の対戦が面白い。
すいかの横綱はでーんと大型力士。一方、だいこんの横綱は色白の二枚目力士。
さあ、見合って見合って。
勝負の行方は、お楽しみ。
この絵本では野菜を力士に見立てているが、子供たちならなんだって力士にできるだろう。
自動車、果物、動物、お菓子、本だって力士になりそう。
さしづめ、横綱は百科事典か。
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寒い季節に読みたくなる絵本
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投稿日:2019/01/20 |
寒い季節になると、読みたくなる童話があります。
それが、新美南吉の「手ぶくろを買いに」。
すっかりお話を覚えているわけではありませんが、雪で冷たくなった子ぎつねの手を心配してお母さん狐は夜に人間の町にでかけていくお話です。
おぼろげながら、それでもまた読みたくなる童話。文字だけの童話として読んでもいいし、このように絵本として読むのもまたいい。
しかも、有名な作品だけにたくさんの絵本作家がその絵を描いています。
偕成社のこの絵本は、たくさんの絵本作家の中でも、その柔らかなタッチで人気の高い黒井健さんが絵を描いた一冊です。
黒井さんの絵のきつねの親子の姿の、なんとも暖かい感じはどうでしょう。
こんな姿を見ていると、このきつねたちが悪いきつねではないことがよくわかります。
それに、子ぎつねが手ぶくろを買いもとめる帽子屋さんのご主人もけっして母きつねが心配するような悪い人間には見えません。
この場面、お店の中を見通せる視線になっていて、商品として並んだ帽子もとっても暖かそうに描かれています。
あるいは、子ぎつねが一軒の家から聞こえる子守歌に耳を傾ける場面。
ここでは外に立ちどまる子ぎつねしか描かれていませんが、その家の窓のあかりがなんとも暖かいのです。
カーテンのかかった窓にはうっすらと、これは人間のお母さんでしょうか、その影も描かれています。
もちろん、新美南吉の童話は「ほんとうに人間はいいものかしら」という母ぎつねのつぶやきで終わる、ある深さをもった作品です。
それらも含めて、黒井さんの絵は暖かく包んでくれます。
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白鳥に寄せる二人の名人芸のような絵本
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投稿日:2019/01/13 |
擬人化というのは「人でないものを人に擬して表現すること」ですが、絵本の世界でもたくさんの擬人化が試みられます。
おもちゃ、ぬいぐるみ、やさい、おうち、どうぶつたち、・・・その他たくさん。
擬人化されないものはないのではないでしょうか。
内田麟太郎さんが文を書いたこの絵本では、「いけ」が擬人化されています。
いけ? ひらがなで書くとわかりにくいですが、これは「池」。
水をたたえた、あの池です。
春になって仲間の白鳥たちが遠い北国に帰っていきます。でも、たった一羽だけ帰れない白鳥がいました。
きつねに羽をかまれて傷ついた白鳥です。
白鳥は小さな池で傷を癒していたのです。
ただ、池は言葉が離せません。
内田さんは、それは池がちいさいからだとしています。
なので、絵本の中では池の言葉はかっこつきで書かれています。
(…はくちょうさん)と、いった風に。
でも、池の白鳥への想いは、まるで恋する若者のような感じがします。
白鳥の白いうなじをみつづけているなんて、まるで恋をしているよう。
やがて、白鳥の傷が癒え、帰る日がやってきます。
真っ青な空に一羽の真っ白な白鳥。
そのあとを追うように、池もまた白鳥となって羽をひろげます。
なんとも感動的なラストです。
内田さんの素敵な文を、そして池の擬人化という難しい設定に、いせひでこさんの絵は見事に応えています。
最後の二羽の白鳥こそ、内田麟太郎さんといせひでこさんの姿のようにも思えました。
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あなたの干支は何のかかりかな?
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投稿日:2019/01/06 |
「お節料理」は俳句でいえば「新年」の季語になります。
「歳時記」によれば、「年賀の客をもてなすために飾る重詰料理」とある。ただ本来はご節句の料理のことをいったらしく、今はそのうちのお正月料理のことをいうようになっています。
ちなみに五節句は1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日のことを指すそうです。
お正月にお節料理というのは支度かたづけも少なくすみ、日頃台所で忙しく働いているお母さんたちが少しでも楽になればという、心遣いもあるようです。
そんなお節料理を「十二支」の干支たちが作ったらどんな役割になるのでしょうか。
独特の画風で人気の絵本作家川端誠さんが、もしかしたらこんな風に干支たちはがんばったのではないかと想像したのが、この絵本です。
十二支の最初はねずみ。正月かざりの係です。つぎのうしは田畑に詳しいので野菜などの材料を運ぶ係、といったように、みんなに役割があります。
やっぱり気になるのは、自分の干支がどんな係かということでしょう。
今年(2019年)の干支のいのししは、十二支最後ということもあって、あとかたづけの係だそうです。
そんなの嫌だと思ったら、みんなで役割を考えてみるのも面白いのではないでしょうか。
ただし、ちゃんと理由も考えないといけませんよ。単に楽なことばかり考えないで。
でも、なんだかんだ言っても、お節料理をつくるのはお母さんだけだったりして。
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空の星だって役に立つ
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投稿日:2018/12/30 |
「どんなものでも何かの役に立つんだ。たとえばこの小石だって役に立っている。空の星だってそうだ。君もそうなんだ」。
これはフェリーニの名作「道」の中に出て来る有名なセリフです。
少し頭の足りない主人公の娘ジェルソミーナと出会った芸人の男が言うのです。
この芸人の男はこのあと彼女とコンビを組んでいたザンバノという荒くれ男に殺されてしまいます。
このザンバノは怪力の芸をする流れ者。ジェルソミーナは彼のそばで伴奏などをして観客からお金を集める役どころです。
昔は彼らのような旅芸人が多くいたのでしょう。
この絵本の主人公ジョバンニもそんな芸人です。
彼の芸は空中にさまざまなものを放り投げ、それをくるくる回したり、それを見事にキャッチしたりするもので、孤児だった彼はその芸で旅芸人の一座にはいり、次第に人気者になっていきます。
やがては町のえらい人の前でも芸を見せるようにもなります。
しかし、ジャバンニも年をとっていきます。
そして、今までしたこともなかった失敗をしてしまいます。
もう彼の芸を見ようとする人はいなくなり、彼はもとの貧しさに戻ってしまいます。
そして、あるクリスマスイブの夜、ひっそりとした教会で、何のささげものも持たない彼は最後の芸をマリアとイエスの像の前で演じて死んでいくのです。
古くから伝わってきた民話をもとに作者のパオラが自身の人生経験と重ね合わせて描いたというこの作品は、映画「道」で描かれたジェルソミーナの汚れない心の美しさと同じものを感じました。
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変化を楽しむ
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投稿日:2018/12/16 |
人生を四季に喩えて、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」とよくいわれます。
「白秋」で50代後半から60代後半、そして高齢者となるあたりが「玄冬」でしょうか。
もちろん単に年齢ではなく、例えばプロスキーヤーの三浦雄一郎さんなどは80歳をまわっていますが「玄冬」にははまらない気がします。
ちなみにここでいう「玄」は黒を指すといわれています。
1998年に発行され、ベストセラーにもなったこの絵本は、フレディという名前の葉っぱの人生を四季とともに描いた作品です。
最後、フレディは雪の上でその人生を終えますが、この絵本で描いているのは「いのち」の変化だといえます。
フレディがまさにその象徴で、青々とした若い時期を経て、まさに生いっぱいに謳歌する夏を過ごし、秋には紅葉し、そして冬、枯れ葉となって人生を終える。
そして、フレディは土に還って、また新しい「いのちの旅」を始める。
そう考えると、人生とは一本の道ではなく、その都度変化していくことかもしれません。
そして、生きるということはその変化を楽しむことが大切なのでしょう。
この絵本の最初に田中和雄さんという編集者から読者にあてたメッセージがついています。
その中で田中さんはこの絵本を「自分の力で「考える」ことをはじめた子どもたちと 子どもの心をもった大人たち」に贈るとあります。
私たちが考えないといけない「生きる」という意味のヒントがこの絵本にはいっているような気がします。
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悲しみのひとはけ
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投稿日:2018/12/09 |
絵本編集者の末盛千枝子さんは、この絵本の作者ゴフスタインについて「どこかに悲しみの影があるというか、悲しみのひとはけが塗られているから」彼女の本が私たちの心を打つと言っています。
「悲しみのひとはけ」というのは美しい言葉ですが、とても難しい言葉だとも思います。
何故ならゴフスタインの絵本には特に悲しいことが描かれているわけではありません。
むしろ「仕事」をテーマに描いている作家ですから、もっと強いものがあります。
けれど、末盛さんの言うようにゴフスタインの作品には「悲しみのひとはけ」を感じます。
それは何故か。
おそらく私たちが生きるということの中に避けることのない「悲しみ」があるからではないでしょうか。
私たちは必ず死を迎えます。そのことによる別れの「悲しみ」は誰にでもあります。
ゴフスタインの絵本の大きなテーマである「仕事」もまた私たちが必ず受け持つ営みですし、ゆえにそこには「悲しみ」も生まれる。
そのことを感じとって、末盛さんは「悲しみのひとはけ」と表現したのではないでしょか。
原題が「NATURAL HISTORY」というこの作品はもっと広い世界を描いています。
とても美しくて、「遠くからはとても平和に見える」私たちの星。けれど、そこでは人々が殺しあったり自然を壊したりしている。
「豊かさをわかちあおうと」生まれてきたはずなのに。
そして、ゴフスタインはこう強いメッセージを出しています。
「すべての命を苦しみと恐れから守るのだ!」。
谷川俊太郎さんの訳がゴフスタインと共鳴し合う瞬間といっていい。
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美しい宝の山へ
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投稿日:2018/12/08 |
本書は2008年4月から2009年3月にかけてヒルサイドテラスで開催された、本と同じタイトルのセミナーの内容を書籍化したものです。
書籍化は2010年3月となっています。
そのため、ここには末盛千枝子さんの近年の活動、すなわち東日本大震災後の被災した子どもたちに絵本を届ける「3.11絵本プロジェクトいわて」のことは入っていません。
それはなくても、末盛さんがどのようにして絵本の世界に入っていき、その活動の力を増していったのかは10回のセミナーのなかで気づかされます。
また、この本でいえば巻末についている国際児童図書評議会(IBBY)の元会長を務め、長年末盛さんと活動をともにしてきた嶋多代さんの「末盛千枝子の仕事について」に、詳しく書かれているので、それがとても参考になります。
ただタイトルのわりにはたくさんの絵本が紹介されているわけではありません。
特に私たちになじみの日本の絵本はほとんど出てきません。
あるのはタシャ・チューダーやエリック・カール、M・B・ゴフスタインといった海外の絵本作家のことや末盛さんと同じ絵本編集者の話です。
それでもその底流にあるのは、末盛さんがいかに本を大切にしてきたかということだと思います。
それがよくわかる文章があります。
「本は子どもにとっても、大人にとっても、もちろん老人にとっても、さまざまな意味で、美しい宝の山だと思います。」
そういう末盛さんだからこそ、語れた本の世界がここにはあります。
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人生の年輪のような一冊
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投稿日:2018/11/21 |
新潮社のPR誌「波」に2014年4月から2015年12月まで連載され、2016年春に単行本として刊行された本だが、私はこの本のことも末盛千枝子という人のこともその当時全く知らなかった。
末盛さんの名前を知るようになったのは、日本経済新聞で平成を振り返る企画記事があって、その中で美智子皇后のくだりで後に末盛さんが美智子皇后の講演をまとめた『橋をかける』の話があったことだ。
このあと『橋をかける』を読み、しばらくして書店で末盛さんの新しい本『小さな幸せをひとつひとつ数える』に出会い、さらに末盛さんはどういう人だろうという興味を増していった。
そんな末盛さんに自身の半生を綴った本があることがわかった。
それが、この本だ。
末盛千枝子さんは1941年、彫刻家の舟越保武を父に生まれた。
その時父はあの高村光太郎に娘の名前をつけてもらえないかと頼む。ほとんど交流もないのに。しかし、高村光太郎はその願いを受け、その女の子に「千枝子」という名前をつけた。
ちえこ、といえば、高村の妻は「智恵子」であった。
誕生と命名、その時点で末盛さんには何か運命の大きな手がふれたようであるが、大学を卒業し、出版社に勤務、そのことが縁になって国際児童図書評議会(IBBY)と関係をもち、その時知り合った先輩たちから美智子皇后への縁とつながっていく。
一方、末盛さんは長男が難病をもち、夫であったNHKプロデューサーを若くして亡くすことになる。その後、再婚した夫も2013年に亡くなる。
それでも、末盛さんには生きる強い力があったのだろう。
この本の最後に、こんな文章がある。
「幸せとは自分の運命を受け容れることから始まるのではないだろうか」。
つまり、「自分の運命」とは「私」にほかならない。
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