宮沢賢治は、童話の中に狐を登場させることがおおいですが、このお話は初めてで、新鮮味がありました。
主人公はどのような気持ちで狐の小学校に遭遇したのでしょうか?
物語の前半で主人公は、山の近くの土地に海辺の浜茄を探すという、突拍子もない行動を行ないます。
そして火山弾を見つけるという発見がありました。
宮沢賢治の中では、狐の小学校に行きつく不思議な必然性があったのでしょうか。
そこに、賢治の世界観があるように思いました。
狐の小学校は、人間社会の小学校と同様の小学校でした。
ただ、その存在を証明できるものが何もないのが、宮沢賢治流でもありました。
この、ちょっと難しいお話を、西村繁男さんが親しみやすく描いています。