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半藤一利さんが子供たちに託したメッセージ
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投稿日:2021/08/15 |
「歴史探偵」を自認していた作家の半藤一利さんが亡くなったのは、コロナ禍が猛威をふるっていた2021年1月のことでした。享年90歳でした。
自身初めての絵本となったこの作品は2019年7月に刊行されたものです。そのテーマは「戦争」です。
半藤さんは1930年で東京の向島に生まれました。
この絵本のはじめの方では、友だちと遊びころげていた姿が描かれています。
そんな生活が一変したのが、1941年12月のアメリカとの開戦でした。その時の町の人々の表情が「晴れ晴れとして明る」かったと、半藤さんは記憶しています。
しかし、いろんなものが生活から消えていきます。大好きだったベエゴマ、動物園の動物たち。
やがて、町の人たちから笑顔も消え、母ときょうだいも疎開し、15歳の半藤さんは父と二人残ることになります。
そして、1945年3月10日、東京下町に大量のB29機が襲いかかってきます。東京大空襲です。
その時の様子を半藤さんはこの絵本で詳細に綴っています。
生きるのも死ぬのも、わずかな違いだったともいえます。そんな生死の境を半藤さんは生き延びました。
「いざ戦争になると、人間が人間でなくなります」と、半藤さんは書いています。
焼きあとに立った半藤さんは、自分が死なないですんだのも偶然だし、生きているのも偶然、この世に「絶対」はないと思います。
そして、「絶対」という言葉を使わないで生きていきます。
そんな半藤さんですが、この絵本でその言葉を使って、こう語りかけます。
「戦争だけは絶対にはじめてはいけない」
絵本の形でこのメッセージが残された意義を伝えていかなければなりません。
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楽しみは世界に満ちている
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投稿日:2021/08/10 |
有名なスウェーデンな児童文学。
作者はアストリッド・リンドグレーンという女性。2002年に94歳で亡くなっている。
日本でもその作品集が出版されているほどで、中でも『長くつ下のピッピ』は人気が高い。いやいや『名探偵カッレ君』でしょ、という人もいるだろうが、脚本家の三谷幸喜さんが小学生の息子さんとともにはまったのが、やかまし村に住む六人の子どもたちを描いたこの作品。
三谷さんは自身のエッセイの中で、この作品にはまった理由として「彼らの暮らしが、あまりに楽しそうだから」と書いている。
また「自分の少年時代をぴったりと重ねることが出来た」という。
もちろん、ここには塾もテレビゲームもスマホも出てこない。
それでも、やかまし村の子どもたちは毎日楽しそうなのだ。
現在の子どもたちは、あるいは大人もそうだが、その楽しみを忘れてしまっているかもしれない。
物語の主人公は七歳のリーサ。彼女には九つのラッセと八つのボッセという二人の兄がいる。
リーサの家の隣には八つのオッレという男の子(オッレの飼っている犬スヴィップを手にいれたエピソードはこの物語の中でも秀逸)と、反対側の隣の家には九つのブリッタとリーサと同い年のアンナという女の子二人が住んでいる。
男の子三人、女の子三人とうまい案配になっていて、仲がいい時もあるし、ケンカしている時もある。
おそらく彼らの暮らしには何もないから、楽しみは自分たちで見つけるしかない。でも、それで見つかるのだから、この世界はきっと楽しみに満ちているのだろう。
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ペク・ヒナさんが発展途上中の作品
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投稿日:2021/08/08 |
韓国の絵本作家で、自称人形いたずら作家のペク・ヒナさんの作品は韓国だけでなく、日本でも人気が高い。
すでに『天女銭湯』とか『天女かあさん』とか『ぼくは犬や』などの絵本が日本でも出版されている。いずれも訳は長谷川義史さんで、長谷川さんの大阪弁の訳文が絵本の画調によく合っている。
そのペク・ヒナさんの(訳はもちろん長谷川義史さん)の新しい絵本が2021年6月に日本で出版された。
でも? あれ? なんだか、ちょっと雰囲気が違う。
人形いたずら作家のはずが、人形があまり出てこない。
どうなっているの?
ペク・ヒナさん、もしかしてスランプ? と、つい心配して、奥付を見ると、韓国での出版が2010年になっているではないか。
そうなのです、この作品はペク・ヒナさんの作品経歴でいえば『天女銭湯』より2年も前の作品なのです。
つまり、人形いたずら作家が誕生する前史の作品といえます。
もちろん、熱帯夜の暑さで月が溶けてしまって、そのしずくでシャーベットをこしらえるといった奇想天外なストーリー展開はすでにこの頃からあったし、写真を使った画作りもここではまだ実験途上ともいえますが、おそらくペク・ヒナさんの中では、新しい絵本作りが生まれつつあったのではないでしょうか。
溶けてしまって住むところがなくなったと登場するのが、月のうさぎ。
韓国でも月にはうさぎがいて、お餅をついていると、そんな話があるのだろうか。
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感想文が書けない、でも「そのとき」がきっときます
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投稿日:2021/08/01 |
夏が来れば思い出す、のは唱歌だけではありません。
今年(2021年)もまた読書感想文コンクールの季節がやってきました。
本書は、第67回青少年読書感想文全国コンクール課題図書の、小学校低学年の部に選ばれた作品。
書いたのは、この作品がデビュー作というすずきみえさん。(姓がすずで、名がきみえとなっています)
課題図書に選ばれたのですから、きっと多くの子どもたちに読んでもらえる、うれしい第一歩になったのではないでしょうか。
不思議なタイトルだと思ったのですが、読み終わったあとは、うまくつけたものだと感心しました。
この作品の主人公の男の子はナスが苦手。いつもは楽しい給食の時間も、ナスの料理だとなかなか食べ終わらない。
夏休みになって、おじいちゃんとおばあちゃんの住む田舎で一週間泊まることになる。
そこでも、ナスの料理が出るのだが、おじいちゃんは男の子に強要しない。
いつか食べられるようになる日がくる。
そう、「そのときがくるくる」だ。
そして、男の子はほんの少しだけナスを食べることができるようになる。でも、大好きになるには、もう少し時間がかかりそう。
この本を読んだ子どもたちは、「わたしもピーマンが嫌いなんです」とか「ぼくはニンジンが苦手」とか書きそう。この本を読んで、きっとそんな私たちにも「そのときはくるくる」と思います、なんて文章で締めくくりそう。
でも、「そのとき」は食べ物だけではないはず。
鉄棒ができなかったり、泳げなかったり。友達ができなかったり、そういう視点でも、この本は読めるはず。
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さまざまな母子の姿を通して
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投稿日:2021/07/25 |
世界中のあらゆる国の母親の姿を描いたこの絵本には、ある特長があります。
それは絵を担当しているカンタン・グレバンさんの名前が先にあって、文を書いたエレーヌ・デルフォルジュさんの名前があとにあること。
文と絵が別々の作者でできている絵本はたくさんありますが、普通は文を書いた人の方が先に印字されています。
二人の経歴を見ても、エレーヌさんはこの本が初の著作で、カンタンさんはボローニャ国際児童書展に何度も入選している絵本画家です。
となると、カンタンさんの絵が先にあって、エレーヌさんがあとから文章を書いたのかもしれません。
でも、一組の母と子の絵は2つずつ。
そこにつけられた文章は、長いものもあります。
そうなれば、お二人で話しながら作っていったのかもしれません。
その創作過程が気になりますが、読者が絵を見ながら自由に物語を紡いでも面白いと感じました。
訳者の内田也哉子さんは、樹木希林さんがお母さんで、自身三人の子どもさんを育ててきました。
その内田さんはこの絵本について、「世界中の女性の生き方。まなざし、何に憧れて生きているのか、何を恐れ、何と日々向き合っているのかといった本質的な部分が、ママン=母親という1つの切り口からあぶりだされている」と感じたといいます。
この絵本に出てくる母親がすべて幸せな人ではありません。子育てに苦労している母も、子供から離された母もいます。
そんなさまざまな母と子の姿から、幸せとは何だろうと考えている自分に気づくはずです。
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エダマメは大豆の子ども
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投稿日:2021/07/18 |
恥ずかしながら、還暦を過ぎて家庭菜園を始めるまで、エダマメが大豆の未成熟のものだと知りませんでした。
夏野菜の中でも人気のエダマメですが、収穫せずにおいておくと当たり前のように大豆になります。
子どもの時に、こうやすすむさんが書いた(なかじまむつこさんが絵を担当)この絵本を読んでいたら、そういうこともわかったのですが。
しかも、この絵本に登場する、いちろう、はなこ、じろうの三人のきょうだいが、別々の収穫方法をしてくれるので、エダマメと大豆がどういう関係なのかよくわかります。
では、まめもやしはどうでしょう。
これは忘れん坊のいちろうが大豆を水につけたまま畑にまくのを忘れていたというのです。
その種を暗い物置に置いたままにしていたら、まめもやしになってしまいました。
一粒の豆からいろんなバリエーションが楽しめるのですから、大豆っていい野菜です。
ちなみに大豆はマメ科ですが、スナップエンドウやソラマメとちがって背丈がうんと高くなるわけではありません。花が咲いて、その花がしぼんだあとに莢(さや)ができ、その中で豆が膨らんできます。
なかじまむつこさんの絵は細密画ではありませんが、エダマメの育ち方がよくわかるように描かれています。
子どもたちとこの絵本を見ながら、実際のエダマメが育っていく様子を観察できたら、どんなにいいでしょう。
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あなたはどんな「にんきもの」でしたか
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投稿日:2021/07/11 |
人生にはたくさんのイベントがあるが、小学生に入学した頃は結構記憶に残るものだ。
つちだのぶこさんのこの絵本に登場するたくさんの「にんきものいちねんせい」のタイプで、そういえば、自分は「おもしろいこといって みんなをわらわせる」芸人みたいなタイプの一年生だったと、思い出したりしている。
では、そのほかにどんなタイプの「にんきもの」があるかというと、まず出てくるのが友だちに大きな声で挨拶する子。みんなを元気にする「にんきもの」だ。
授業中に進んで手をあげ、みんなの前でお話できる子も「にんきもの」だし、休み時間にみんなを誘って遊ぶ子も「にんきもの」。
給食当番の時にてきぱきしたくができる子も、そうじの時間にきれいに片づけができる子も「にんきもの」になっている。
この絵本を見ていると、小学校で子どもたちはさまざまな生活の時間を過ごしていることに気づかされる。
学校は勉強するだけの場ではなく、人と交わることを学ぶ場でもあるのだ。
そして、そのそれぞれの場で、そこで活躍したりみんなの注目を浴びたりする子どもがいる。そういう子どもたちをしっかり見つけてあがることも、先生や親の大事な役目だと思うし、そこで現れる子どもたちの個性をしっかり伸ばせてあげたいものだ。
子どもたちをしっかり見てあげられるおとなこそ、「にんきもの」になれるはずだ。
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父が息子に見せられる大切なもの
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投稿日:2021/07/04 |
父の背中を見て育ったとかよく耳にします。
それって、実はそんな大げさなものではなく、日常のなにげない父の姿に教えられるということかと思います。
ただ、背中は後ろにあります。目に見えない後ろにあるからそれはあまり目にしないものなのかもしれません。
日本で生まれた日系アメリカ人の絵本作家アレン・セイが1999年の発表したこの絵本を読んでいても、主人公の少年の父親が少年に見せるのは、普段少年が目にしない姿でした。
冒頭、「夏やすみにとうさんの家へ遊びにいった。」という一文があります。
これはもしかしたら、少年は日常では父と離れた生活をしていることを意味しています。
単身赴任でしょうか、両親の離婚でしょうか。
なので、少年は余計に父のことがわかりません。
ある時、父が少年をキャンプに連れ出してくれます。
少年が退屈まぎれに部屋の壁に貼った山や川の写真を見たからです。
ここから、一気に少年と父の距離が縮まります。
山道を歩くたくましい父。父が子どもの頃に遊んだ秘密の湖。(もっとも、ここは今ではすっかり観光地されていて二人はもっと山深い湖を目指します)
キャンプをしながら料理をつくってくれる父。
父にとってはいつもと変わらないそんな姿が、少年には新鮮に見えます。
父の背中とはきっとそういう普段目にしないもの。
だから、子どもにとってはとても貴重なものになるのでしょう。
こういう父と息子の物語に、やはり椎名誠さんがよく似合います。
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うしにもこたつにもなれなかったけど
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投稿日:2021/06/27 |
子どもの頃に、ご飯を食べたあとに寝転がっていると「うしになるよ」とよく叱られました。おかげさまで、うしにはなりませんでしたが、ご飯を食べたあとこたつにもぐりこむ冬の季節ならついウトウトとしてしまいます。
最近は暖房器具も多種になって、こたつもあまり見かけなくなりました。
実際我が家ではもう何年もこたつは使っていません。
うしに生まれ変わる楽しみ? もなくなりました。
うしがこたつになるというおかしな発想でこの絵本を書いたかわまたねねさんは1996年生まれといいますからとてもお若い。
まさか食べたあとに寝転がるとうしになるという言い伝え? は知らないでしょうが、「映画を観ながら寝落ちするのが「一番の幸せ」というのですから、うしになる資格が多いにあります。
この絵本はかわまたさんが受講している「ゆうゆう絵本講座」の受講生内のコンペで選ばれた作品だということで、絵本作家を志している人の感性の豊かさにモー感服です。
その作品に絵を描いたのは、こちらはベテラン絵本作家の長谷川義史さん。
長谷川さんの絵が、こたつになったうしがこの世に存在していてもつい納得させてしまいます。
かわまたさんのおかしな世界を長谷川さんがよりいっそう楽しい世界に仕上げています。
モウ満足な、楽しい絵本です。
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ちょっとグスンとする父と子のお話
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投稿日:2021/06/20 |
亡くなった父親に「はいけい、てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。」と手紙をつづるように描かれていく、絵本作家長谷川義史さんが2008年11月に発表した絵本の名作です。
作品のよさもありますが、なんといっても長谷川ワールドが全開です。
大阪弁で綴られている「てんごくのおとうちゃん」への手紙、昭和の雰囲気あふれた絵。
長谷川さんは昭和36年、大阪に生まれていますから、ここには長谷川さんが見た昭和の思い出が詰まっています。
胸にぐっと迫るのは、少年とおとうちゃんの微笑ましい思い出を描いたところではありません。
おとうちゃんが亡くなった日、みんなが泣いている時、少年は「なんか わかれへんけど」庭に吐いてしまいます。
少年にとって、大好きだったおとうちゃんの死であっても、何かとてつもなく恐ろしいものだったのです。
人はそういう経験をしつつ、大人になっていく。
ここはとても大切な場面です。
さらに、みんなに「かわいそうに」と言われるたびに少年は自分よりおとうちゃんがかわいそうとちがうやろかと思います。
少し視点を変えてみると、本当の世界が見えてきます。
「はいけい、てんごくの おとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいに なります」、
だから、心配しなくても大丈夫とおわる最後のページの絵は、おかあちゃんの肩を叩く少年でした。
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