全616件中 491 〜 500件目 | 最初のページ 前の10件 48 49 50 51 52 ... 次の10件 最後のページ |
漢字で書くと土筆
|
投稿日:2016/03/27 |
久しぶりにつくしを見つけた。
久しぶりというのは、十年以上の単位で、もう忘れかけていたぐらいだ。
それが先日ひょっこりとご対面となった。
なんだ、いっぱい出てるじゃない。これだけあれば子どもたちだって見つけられる。でも、見つけたのが大きな道路の脇だから、子どもたちがつくしを取るにしては危ないだろう。それに、今の子どもたちがつくし採りをするとも思えない。
「まゝ事の飯もおさいも土筆かな」。星野立子の俳句だが、「まゝ事」をしている子どももとんと見ない。
ちなみに、「土筆」はつくしと読む。
それからしばらくして、つくしの絵本を見つけた。
昔の絵本かなとページを開くと、有名なコンビニのロゴだとはっきりわかるレジ袋から始まるので意外な気がした。
つくしだって、古くはないんだ。
ついている文は「はい! おみやげ。」、コンビニでのお買い物ではなく、そこにはいっていたのはたくさんのつくし。
どうするのかって。
食べるのです。「つくしのてんぷら、たまごとじ、つくしごはんに、やきたてのつくしもとってもおいしい。」
知らなかったな、つくしを材料にしてこんなにたくさんの料理ができるなんて。
そこで、つくしを探しに行くのだが、ここでは野原まで行くことになる。
都会で野原はなかなかない。せいぜい道路の脇か。これは勧めない。
だから、絵本の子どもたちに教えてもらおう。
何しろ、この絵本ではつくしの土の中の様子もばっちりと描いているのだから。
こんな言葉を知っているだろうか、「つくし だれの子 スギナの子」。
そう、つくしとスギナは一本の根っこでつながっているんだ。
この絵本は科学の好きな子どもには最適だろう、つくしとスギナの関係、土のなかの根についている「たま」のこと、その根っこの断面図なんていうのも描かれている。
そうか、この絵本は「かがくのとも」に載った作品なのだ。
つくしを見たことのない子どもだっているだろう。できれば、つくしが出ている場所に連れていってあげたら、この絵本の素晴らしさを実感できるだろうな。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
ちょっとだけ しかけ
|
投稿日:2016/03/20 |
この絵本、一か所だけ仕掛けがあります。
しかも、最初の肝心なところ。
どんな仕掛けかは、絵本を開いて、見て下さい。
主人公はフクロウの子ども。
フクロウというのはなかなか見ることはありませんが、最近ちょっとしたブームになっています。
漢字で書くと「梟」の一文字でなんだか厳めしい感じがしますが、あの容姿が癒しのイメージで「フクロウカフェ」に人気が集まっているそうです。
本来は猛禽類なんですが、その姿から「森の物知り博士」や「森の哲学者」なんて呼ばれることもあります。
だから、この絵本のフクロウの子どもが巣から落ちて「まいご」になってしまうのですが、どこかかわいいのです。
そのちびフクロウを助けるのが、森のリス。
リスも人気の高い動物です。
ちびフクロウがママのことを「すごーくおおきいんだ」というのでリスが連れていったのは大きなクマのところ。
次にちびフクロウは「耳がとんがっている」というのでリスはウサギのところに連れていきます。もちろん、ちびフクロウのママはウサギではありません。
さあ、ちびフクロウはママのところに帰れるでしょうか。
この絵本を書いたのはクリス・ホートンさん。イタストとかを描いていますから、この絵本のちびフクロウをはじめ登場する動物たちはみんな個性的でかわいいことといったら。
こういうフクロウを見ていると、「フクロウカフェ」が流行るのがわかります。
訳したのは、木坂涼さん。絵本作家でもありますが、詩人でもあります。
詩人といえば谷川俊太郎さんがたくさんの絵本を書いているし、海外の絵本もたくさん翻訳されているのは有名。
さすがに言葉をあやつる人だけあって、絵本にはよく合います。
さて、最初の仕掛けのことですが、この絵本のタイトルのように「ちょっだけ」です。
この絵本を開いて、「なーんだ」というのは嫌ですよ。
何しろ「ちょっとだけ しかけ」の、「ちょっとだけ まいご」という絵本なんですから。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
子どもは成長する
|
投稿日:2016/03/13 |
文部科学省の調査によると、東日本大震災の影響で転校した小中高生や幼稚園児は2015年5月現在で1万9522人だという。
そのうち、一番多いのは福島県で1万3906人。
今だに東電の福島原発事故の影響が続いていることがこの数字でも読みとれる。
震災が起こった3月11日は季節的には卒業シーズンだった。
小学校を卒業した子どもたちは離ればなれになって、新しい町の中学校に通い出したはずだ。
あれから5年が経って、その子たちも今では高校生になっている。
5年とはそんな時間の長さなのだ。
この本はあの日福島県の南相馬市小高区に住んでいた3人の姉弟の避難生活を彼らの日記形式で綴られたものだ。
3人の住む南相馬市小高区は福島第一原発から20キロメートル圏内。
震災と原発事故があった時、門馬千乃(ゆきの)さんは小学校の卒業をまじかに控えた6年生、弟の健将(けんすけ)くんは4年生、その弟の海成(かいせい)くんは2年生。
震災の日の日記に千乃さんは「もしかして、ここで私たちも死んでしまうのかなと思った」と記している。
おそらくこの日の東北の子どもたちの多くがそう思っただろう。
しかし、この3姉弟たちはその後原発事故の避難を始めることになる。福島市から会津若松市へ。飼っていたペットの犬も連れていくことができなかった。
彼女たちの父親は市の職員だったので一緒に避難すらできない。
そんな中で3人の姉弟は知らない土地で揺れ動く思いを日記に綴っていく。
彼女たちの日記の記述が明るくなるのは、新しい学校になじみだした頃だ。
特に目を見張ったのは末の弟海成くんの日記かもしれない。
最初はほとんどあった事実だけを記していた海成くんだが、9月ぐらいになると文章自体がしっかりとしてくる。
9月12日の日記から。「小高の家からひなんしてから半年がたちました。あいづでの半年間は、短く感じました」
子どもの成長の速さに驚いてしまう。
この3人の姉弟があれから5年どう成長したのかわからないが、きっと素敵な中高生になっているのだろうな。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
たくさん想像して
|
投稿日:2016/03/06 |
私には自信がありません。
もし、この物語の主人公オーガスト・プルマンのような男の子がそばにいたら話せるなんて。
オーガストは普通の男の子です。ただし、それは「顔以外」と注釈がつきます。
オーガストは、目がふつうあるはずのところから3センチも下についています。眉毛もまつげもない。耳は穴があいているだけ。鼻はぼってり肉がついて、そこから口にかけては「とろけた蝋」のようだ。
オーガストは生まれた時はもっとひどい状態だった。何度も整形手術を受けてきた。正式には「下顎顔面異骨症」というらしい。
想像してみてよ、もしそんなオーガストが自分たちの学校に入学してきたらということを。
この本を読んだあとでも、ひどいことだとわかっているが、私には自信が持てない。
オーガストは10歳の男の子。それまでは家でママが勉強を教えていたのだが、今度普通の学校に行くことになった。オーガストは最初すごく嫌がった。もっと小さい頃はずっと宇宙飛行士のヘルメットをかぶっていたぐらいだから。
それでも彼は学校に行く決心をした。感じの悪い同級生がいることを承知の上で。何故なら、そうではない同級生もいたから。でも、ハロウィーンの夜、信じていた同級生からも嫌な言葉を聞いてしまうオーガスト。
それでもオーガストには彼を愛してくれる人がいた。パパ、ママ、姉のヴィア。家族ならわかる。オーガストが何か悪いことをしたわけではないということを。だから、彼らは信じている。オーガストが学校になじむことを。友だちがたくさんできることを。
ただ、姉のヴィアだけは少し複雑。オーガストの存在を知られることで彼女もまた周りの冷ややかな目にさらせれてきたのだから。
想像してみて下さい。オーガストのような男の子が自分の弟だったらって。
そう、この物語を読むには、たくさんの想像が必要です。
もし、・・・。もし、・・・。そこにはいつもオーガストがいるはずです。
オーガストにたくさんの友達ができるかどうかは物語を最後まで読むとわかります。
それでも、正直に書けば、私にはまだ自信がありません。
|
参考になりました。 |
|
4人
|
|
|
二人そろってすまし顔
|
投稿日:2016/02/28 |
野村たかあきさんの「おばあちゃんの行事料理」シリーズの一冊。
野村さんは1949年生まれですから、こういう行事を実際に体験してきた年齢かと思います。最近では行事料理をしないおうちも結構あるのではないでしょうか。
でも、やはりその由来なんかを知ることは行事の持っている印象を深めます。
子どもたちと一緒に料理をしながら、そういうことを語り継いでいくことの大切さを感じます。
今回の料理はひなまつりの行事料理。
もちろん、3月3日の女の子の節句に戴く料理です。
登場するのはいつものきりかちゃんと弟のこうたくん。そして、料理名人のおばあちゃん。
今回のメニューは「ひなちらし」と「うしおじる」。それに「ひしもち」や「ひなあられ」も出てきます。
料理の前には雛飾りも出しましょう。
絵本では二十四節気のひとつ「雨水」の日に雛飾りを出しています。その方が良縁に恵まれるそうです。さすがおばあちゃん、よく知っています。
きりかちゃんのおうちは七段飾りのりっぱな雛飾りです。きっと飾るのも大変でしょうね。そんな時こそおばあちゃんとたくさん話ができる貴重な時間。
そういうことの一つひとつが思い出になっていくといいですね。
さあ、桃の節句の当日、おばあちゃんと一緒に「ひなちらし」を作ります。
色鮮やかな「ひなちらし」はさすがに女の子の節句らしく華やかです。
もう一品は「うしおじる」。これははまぐりの汁物です。
どうしてはまぐりかというと、はまぐりは「にまいのからがぴったりかさなって、ほかのかいとはぜったいにあわない」そうです。だから、「じぶんにぴったりのひとにであえますように」という願いが込められているそうです。
これ、全部、おばあちゃんの受け売り。
我が家にも娘二人いますが、成長して、ここ何年も雛飾りは出していません。
だからなのでしょうか、「ぴったりのひと」には出会えていないようです。
娘さんがいる家族はきっとこの絵本を楽しく読んでいるのではないでしょうか。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
赤いリトマス試験紙
|
投稿日:2016/02/21 |
先日『絵本の心理学−子どもの心を理解するために』などの著書がある教育学の佐々木宏子先生の講義を聴く機会があった。
その中で「昔話の面白さと深さ」という単元で、この絵本を紹介されていたのが、読むきっかけになった。
『赤ずきん』という昔話は誰でも知っているだろう。もともとが民話の類だったようで、それをペローが作品に仕上げていったといわれる。
グリム童話で読んだ人も多いだろう。
この作品を佐々木先生は「世代で解釈出来る物語」と位置付けて、さらには「世代間継承で変化する物語」として、いしいしんじ氏のこの絵本を紹介したのだ。
作者のいしい氏は1966年生まれ。(絵は『きょうの猫村さん』のほしよりこさん)
ペローやグリムの時代から遠く隔たった世代である。
ここでは「赤ずきん」というのは記号のようなものでしかない。きっとタイトルと表紙絵でこの絵本を手にした読者はびっくりするだろう。
「えっ、これが『赤ずきん』?」って。
「あたい赤ずきん」という女の子はいくつぐらいだろう。マグロ船ドンデコスタ丸で出ていったジローの帰りを待っている。
彼女の「赤ずきん」は透明で、まわりの人には何も見えない。でも、彼女の目には「真っ赤っ赤」に見えるし、今はいないジローにも真っ赤に見えたはず。
そんな話ってある?
「赤ずきん」とジローは嵐の晩の箱根ターンバイクで一緒に走ったことがあるらしい。
その時、ウィンドゥから半身を乗り出した彼女は真っ赤な「赤ずきん」をなびかせていた。
そんな「赤ずきん」の話ってある?
佐々木先生は「時代を越えてよみがえる」から昔話は面白いと話されたが、私にはどうにもこうにも。
佐々木先生は「親の世代が「理解できない」ことを排除するならば、新しい価値は生まれない」というが、この作品には「裸の王様」のような仕掛けがありはしないか。
「赤ずきん」なんか見えないよ、というべきではないか。
それともやはり、彼女とジローに見える「赤ずきん」を愛の記号として認めるべきか。
あなたは、この感覚についていけるだろうか。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
今年の恵方は南南東
|
投稿日:2016/01/31 |
二月三日は節分。
立春の前日にあたります。節分という言葉でわかるように、冬から春への季節を分ける日のことです。
邪気を追い払って春を迎えるということで、さまざまな風習があります。
戸口に鰯の頭や柊の枝を飾るのも、豆まきも、鬼を追い払うことにつながっています。
寒い夜に各家からの「鬼は外、福は内」の声がよく響きます。
最近はそんな声がほとんど聞こえてこないのが残念ですが、代わって「恵方巻」を食べることが一般化してきました。
野村たかあきさんn「おばあちゃん」シリーズでも、こうして一つの作品になっています。
この絵本ではおとうさんが「恵方巻」について説明してくれています。
それによると、「恵方巻」を食べるのは関西地方の風習だというのですが、大阪の近郊で育ちましたが、「恵方巻」は食べたことがありませんでした。
どこか狭い一角だけの風習だったのでしょうか。それにしても、それを大々的なイベントにしてしまったのですから、その仕掛け人は先見の明があったのですね。
「恵方」というのは、その年の縁起のいい方角。その方向に向かって、切らないで丸ごと食べないといけないことになっています。
しかも、途中でしゃべると、福が逃げるのだとか。
絵本の中ではきりちゃんとこうた君のおなじみの姉弟がそんなことにはおかまいなしにしゃべりまくっていますが。
きりちゃんのおばあちゃんは料理が得意。
「恵方巻」を作ったのも、おばあちゃん。いつものように、きりちゃんはお手伝い。
きりちゃんの家が素敵なのは、日本的な風習がきちんと守られていることです。だから、きりちゃんの家の玄関にはちゃんと鰯の頭と柊が飾られています。
豆まきもちゃんとします。
豆まきが終われば、自分の年の数に一つ足して食べます。
子どもの頃は、親の豆まで頂戴していたものですが、さすがに年を重ねてくれば、誰かに手伝ってもらわないと食べられなくなりました。
節分の日、「恵方巻」を食べながら、この絵本を読んでみるのもいいかもしれません。
ふっと気がつけば、横で子どもの鬼も読んでいたりして。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
雪かきは大変です
|
投稿日:2016/01/24 |
雪というのはセンチメンタルですが、時に過酷でもあります。
特に雪のほとんど降らない都会の人にとって、雪はあこがれのようなもの。降ってきたら、子どもたちの歓声が聞こえてきます。
でも、雪国の人にとっては屋根の雪下ろしとか日々の生活に重くのしかかってきます。
雪が降ってきたら、空を見上げて、雪国の人たちのそんな生活に少しは思いをはせてみるのもいいかと思います。
この絵本のように。
この作品で作者の佐々木潔さんは講談社絵本新人賞を受賞しています。(1980年)
絵本を読むと、雪国の小さな駅の、雪の日の様子が淡々と描かれています。佐々木さんはきっとそんな世界で育ったのだろうと思ってしまいましたが、作者のプロフィールには東京生まれとあります。
東京で生まれて育っても、こんなにうまく雪国の生活を描かれるのですね。
雪にはそんな力があるのかもしれません。
雪が降り続く駅の朝。駅員さんの仕事は、まずホームの雪かき。お客様が滑ったりしたら、危ないですからね。でも、この駅には都会の駅のようにたくさんの利用者がいるわけではありません。
たった4人。
でも、この駅がないと、この人たちは困ってしまいます。
彼らが行ってしまうと、次は小荷物の送り出しです。
都会に住む子どもたちに故郷のお母さんから何か送ってあげるのでしょうか。
貨物列車が駅に到着しました。
小さな駅に、新しい荷物が届きました。この中にはどんなものがはいっているのでしょう。
雪は静かに、静かに、降り続けます。この絵本には文はついていません。
読者は静かに雪の音を感じればいいのです。
駅員さんは朝の乗客が帰ってくるまでに、またホームの雪かきです。
やさしい駅員さんです。
そして、夜になりました。どうやら、雪もやみました。空には大きな三日月が。
きっと音も消えた、静かな夜でしょう。
こんな素敵な「ゆきのひ」を、東京で生まれた佐々木さんはどうして描けたのでしょう。
きっと、雪の日に降ってくる空を見続けたのではないかしら。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
あなたが何歳であったとしても
|
投稿日:2016/01/21 |
この本のことは、小泉今日子さんが読売新聞に掲載した書評を集めた『小泉今日子書評集』で初めて知りました。
2007年に理論社から単行本で出て、今では新潮文庫に収められていますから、たくさんの愛読者がいる一冊になっています。
この本のことを小泉さんは「何冊も買っていろんな人のお誕生プレゼントにしました」と書いていました。
なんとも不思議なタイトルの本を誕生日プレゼントにもらった人は、一瞬きょとんとなるかもしれません。でも、せっかくもらったのだからと、読んでみて、初めて贈ってくれた人のあたたかさがわかるのではないかと思います。
だから、もし、この本を誕生日プレゼントでもらったら、とっても大切にされていると思って下さい。
小泉さんは、また、こんなことも書いています。
「子供の頃にこの物語を読んだら私は何を感じ、何を考えたのか知りたくなった。」
それは少し違う気がします。多分、この本にはいっている話は子供だけでなく、十代でも二十代でも感じ方が違うと思います。結婚して(しなくてもいいのですが)子供が出来て読むとしたら、ハードな仕事を任された時に読んだとしたら、定年になって仕事を辞めたときに読んだ時も、また違った読み方になるような気がします。
私が読んでみたいと思うのは、もう間もなく命の灯が尽きようとしているその数時間で、この本を読んだら、「何を感じ、何を考えたのか知りたくなった」です。
この本には7篇の動物寓話が収められています。
私が好きなのは、「ないものねだりのカラス」。この話はみんなに嫌われていたカラスがシラサギと友だちになって温かな気持ちになる話。
こんな素敵な文章があります。「ただのにぎやかなだけのおしゃべりは、心からの言葉とは違う」。
この文章に出会っただけでも、この本を読んだ値打ちがあったような気持ちがします。
でも、きっともっと若い時に読んでいたら、別の作品がお気に入りになったかもしれません。そのことがわからない。それがとっても残念で仕方がありません。
|
参考になりました。 |
|
2人
|
|
|
想像の翼をひろげて
|
投稿日:2016/01/17 |
宮沢賢治の年譜によると、大正12年(1923年)7月31日、青森、旭川を経て稚内から樺太に渡るとある。翌8月11日には花巻に戻っているから、かなりの強行軍だ。
賢治、27歳の時である。
この時の賢治は農学校の先生で生徒たちの就職先を探すことが目的だったらしい。
旭川に着いたのは、この絵本の作者あべ弘士によれば、8月2日の朝5時頃だという。
のちに賢治はこの時のことを「旭川。」という詩で残している。
この絵本の裏表紙の見返しに、その詩がのっている。
書き出しはこうだ。
「植民地風のこんな小馬車に/朝はやくひとり乗ることのたのしさ」。
わずか28行の詩である。
その詩にインスパイアされて生まれたのが、この絵本だ。
『あらしのよるに』で人気絵本作家になったあべ弘士は、旭川動物園の飼育係として働いていた経験を持って、その後も動物たちの生態を巧みに描いた絵本を数多く刊行してきた。
この絵本では作風を思いっきり変えている。
これこそ、新境地という言葉が似合う、一冊だ。
読みながら震えるような感動を味わっていた。
何故なら、絵の素晴らしさをまずあげよう。
巧みなデッサンと色彩の配置。絵本の絵というよりも文芸作品の挿絵のような厳かな感じがいい。
次に賢治の詩から想像の翼を大きく広げていること。
先ほども書いたように賢治の詩はわずか28行。その詩をそのまま描いたわけではない。
朝の旭川駅の様子をどう絵にするのか、町の様子はどうか。人々の姿は。
あべはこの作品を描くにあたって、おそらく当時の旭川を描いた絵か写真を参考にしたのではないだろうか。
賢治のいた旭川という町が生きているのだ。
そして、オオジシキという鳥。
この鳥のことは賢治に詩には出てこない。
しかし、あべはこの鳥をまるで天の使いのように描いている。
あべはこう文をそえる。「それはまるで/天に思いを届け、天の声を聞いて帰ってくる使者のようだ」。
あべはこの鳥に宮沢賢治の思いを託したに違いない。
この作品が今後あべ弘士の代表作になるような予感すらする。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
全616件中 491 〜 500件目 | 最初のページ 前の10件 48 49 50 51 52 ... 次の10件 最後のページ |