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はじめてのクリスマス

はじめてのクリスマス(偕成社)

人気コンビがおくる、新作クリスマス絵本

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どんなにきみがすきだかあててごらん

どんなにきみがすきだかあててごらん(評論社)

日本語版刊行30周年♪想いのつよさをくらべっこ♥

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夏の雨

パパ・60代・埼玉県

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夏の雨さんの声

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自信を持っておすすめしたい 手に刻まれたもの                     投稿日:2016/06/05
ハルばあちゃんの手
ハルばあちゃんの手 作: 山中 恒
絵: 木下 晋

出版社: 福音館書店
 中学校の美術の授業で自分の手を描く、そんな時間があった。その時に描いた絵はとっくにどこかに消えてしまったが、もし残っていたら私の手はどんなに変わっているだろう。
 人生のさまざまを手に刻んできただろうか。
 この絵本は山中恒が文を書いているが、絵を担当している木下晋の鉛筆画が印象的だ。
 赤ちゃんのふっくらした手、少女のやさしい手、娘のなめやかな手、妻のそして母の強い手、そしておばあちゃんのしわだらけの手。
 人の手はさまざまな経験をそこに刻んで変化していく。
 山中の描く物語は海辺の小さな村に生まれたハルという女性の一生を描いたものだが、木下はそれを見事に絵に書き留めている。

 ハルの左手にはほくろがあった。「器用で幸せになる」と村の人たちはいってくれた。実際そのとおりにハルは器用な少女に育つ。ハルがつくったかずらのつるで編んだかごが男の子と運命的な出会いをもたらす。
 ハルが15歳の時戦争で父親がなくなる。母親も病気でなくなる。ハルの厳しい時代が始まった。「幸せになる」といういわれてハルは男にまじって働くしかない。
 そんな時、あの男の子がハルの前に現れる。ユウキチは神戸でケーキつくりを修行しているという。嫁にするから必ずまっていてくれとハルと約束する。(このページにはハルの手は描かれていない。描かれているのは、ハルの瑞々しい顔だ)
 ユウキチはなかなか迎えにはこない。ある日、突然現れて、ハルとユウキチは結婚をする。
 ユウキチはケーキ屋さんになっていた。ハルは店を手伝い、店は繁盛する。
 男の子が二人、成長して大学にも行った。しかし、店は継がないという。
 やがて、ハルもユウキチも年をとる。ユウキチがなくなったあと、ハルは海辺の村へ帰って盆踊りの踊り手として、昔のように美しく踊るのであった。

 最後、今までの白を背景にした絵が黒の世界へ変わる。まるでそれはハルの死出の旅のようにも見える。
 ハルはなんと仕合せな人生を生きたことか。感動的だし、生きるということを深く考えさせられる作品である。
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自信を持っておすすめしたい 忘れ物してないか  投稿日:2016/05/29
ボタンちゃん
ボタンちゃん 作: 小川洋子
絵: 岡田 千晶

出版社: PHP研究所
 この絵本の作者小川洋子さんは、もちろんあの『博士の愛した数式』や『妊娠カレンダー』を書いた芥川賞作家の、小川洋子さんその人です。
 さすがに言葉を紡ぐことを職業にする人だけあって、なんとも言葉が美しい。
 それに物語の構成がやはりうまい。

 主人公はタイトルとおり、「ボタン」。洋服についているあれです。
 女性ならではの視点です。ボタンを集める趣味の人がいるぐらいですから、女性にとっては大事な小物です。男性にはなかなか思いつかない。
 では、ボタンちゃんのなかよしってわかります?
 これも男性には思いつかないかもしれません。
 答えは、ボタンホール。
 ボタンちゃんが丸いお顔なら、ボタンホールちゃんはほっそり顔。それに恥ずかしがり屋。こういう視点も女性ならでは。
 しかも、ボタンがかわいいのはボタンホールのおかげというのもいい。

 ところが、ある日、そのボタンちゃんのとめていた糸が切れてしまうのです。
 ボタンちゃんはコロコロ転がっていきます。
 普通であれば仲のいいボタンホールちゃんと離ればなれになってしまうのですから、ボタンちゃんはめそめそ泣いてしまいそうですが、小川洋子さんはボタンちゃんにちょっとちがった世界を冒険させるのです。
 それは部屋のいろんな隙間に忘れられた思い出の品。
 ガラガラであったりよだれかけであったり、子熊のぬいぐるみであったり。
 ボタンちゃんの主人アンナちゃんがうんと小さい時に手にしたり身につけていたりしたものです。
 昔はあんなに仲がよかったのに、今ではすっかり忘れられてしまった小物。

 この物語の最後には主人公のボタンちゃんも、そういう小物になってしまいます。
 だって、アンナちゃんが大きくなれば、いくらお気に入りのボタンがついていても、着れませんものね。
 この絵本はそういうふうにいつかさようならをする小物たちへの愛を描いた物語といえます。
 読み終わったあと、そういえば何か大切なものを忘れていないか気になりました。
 思い出せたらいいな。
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自信を持っておすすめしたい すいぞくかんも出てきます         投稿日:2016/05/22
どうぶつえんはおおさわぎ
どうぶつえんはおおさわぎ 文: 二宮 由紀子
絵: あべ 弘士

出版社: 文研出版
 動物絵本といえば、あべ弘士さん。
 さすがに旭山動物園の飼育係をされていた経験から、動物たちのさりげない表情までもが生き生きと描かれている。
 動物園を舞台にしたこの絵本では、あべ弘士さんが絵に徹し、文は二宮由紀子さんが書いている。
 二宮さんもあべさんというパートナーに心強かったのではないでしょうか。

 物語は奇想天外だ。
 夏の朝、動物園の園長室にゾウの飼育係が大慌てで飛び込んでくる。
 ゾウの「テンテン」が何者かに盗まれたという。
 最初、この「テンテン」が何のことなのかわからなかった。よく読むと「ゾ」の字の右肩にある「テンテン」のことで、これがなくなったから、「ゾウ」は「ソウ」になってしまったというのだ。
 びっくりした園長と飼育係は動物園を見まわることにするが、次第に二人の会話からも「テンテン」が消えていく。
 つまり、いつの間にか「どうぶつえん」は「とうふつえん」になってしまうのだ。
 この園長、「とうふつえん」なら豆腐を売るしかないと俄然張り切りだすのだから面白い。
 一方、飼育係はゾウ以外の動物を確認して歩く。
 キリンは大丈夫。トラもライオンも問題ない。ただゴリラは「コリラ」になっていた。
 そのうち、「テンテン」だけでなく「マル」まで消え始めることに。
 つまり「パンダ」は「ハンタ」になってしまっているのだ。
 まるで井上ひさしさんの好きそうな話にどんどん展開していく。

 でも、一体誰が犯人なのだ?
 動物園(今では「とうふつえん」だが)の隣の水族館の看板を見ると、「ずいぞくがん」になっているではないか。
 動物園でなくなった「テンテン」や「マル」が水族館に行ってしまっているのだ。

 ここからは水族館の様子が描かれます。
 あべさんは魚やペンギンを描いても、うまい。
 そして、飼育係は動物園から出ていった「テンテン」や「マル」を水族館で集めだして一件落着。

 言葉遊びや動物たちのしぐさや園長たちの人間たちの馬鹿げた表情など、楽しみ満載の絵本である。
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自信を持っておすすめしたい 稲作文化の日本ならでは  投稿日:2016/05/18
たんぼレストラン
たんぼレストラン 作・絵: はやし ますみ
出版社: ひかりのくに
 菜園で「うちの田んぼは・・・」なんて言って、冷たい視線をあびたことがある。
 田(田んぼ)は基本的には稲を栽培するところ、畑は野菜などを栽培するところとなっているので、菜園は畑と言うしかない。
 ちなみに日本の場合、田と畑の面積比は、平成20年の調査では、田54.4%、畑45.6%となっている。
 やはり日本は稲作文化なのだ。
 全国ベースでは田畑の合計は462万8000haだという。けれど、宅地等への転用、耕作放棄等のかい廃などで減少傾向にあることはいうまでもない。

 この絵本はタイトルにある通り、田(たんぼ)の話だ。
 5月の今の季節なら田(たんぼ)には水がはられていることだろう。早い処では田植えが始まっているかもしれない。
 田(たんぼ)には様々な生き物がいる。
 農薬の影響でその姿をあまり見なくなったものたちもいるが、この絵本ではまだまだいっぱいいる。
 表紙の見返しにその生きものたちが描かれている。
 トノサマガエル、クサガメ、アメリカザリガニ、ゲンゴロウ、ミジンコ、イトトンボ・・・。
 最近ではなかなかお目にかかれない。

 もうすぐ春の田(たんぼ)。
 土の中ではカエルたちがまだ冬眠している。
 彼らは突然の大きな音で目を覚ます。「ざくり」。この音は何だ?
 農家さんが田(たんぼ)の耕作を始めた音。耕運機の爪がカエルたちのそばまで突き刺さっていく。
 土の中から虫たちがはい出て、鳥たちがそれをついばむ。
 「たんぼレストラン」の開店だ。

 そして、田(たんぼ)に水がはられる。
 水の中にもたくさん生き物がいて、ここでもカエルやつばめがやってきて、「いただきまーす」と大きな口を開けている。
 田植えが終われば、ザリガニもやってきて、またパクリ。
 空からは鳥がお客さまとしてやってくる。
 裏表紙の見返しには田(たんぼ)にやってくる動物や鳥たちが描かれている。
 モズ、モグラ、カルガモ、アカネズミ、ニホンザル・・・。

 稲が実ると、スズメたちがやってくる。
 田(たんぼ)は年中おお忙しいのレストランだったのです。
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自信を持っておすすめしたい 絵本の世界の木皿泉??  投稿日:2016/05/08
パンダ銭湯
パンダ銭湯 作: tupera tupera
出版社: 絵本館
 ナンセンスという言葉を調べると、「意味がないこと、馬鹿げていること」と出てくる。
 この絵本はさしずめ「馬鹿げていること」に該当するのだろうが、非難の言葉ではなく、絶賛の言葉として使いたい。
 こんなことなど絶対ありえないのに、あるかもしれないと思えるほど、面白いのだ。
 こんなことの第一が、「パンダ以外の入店は、固くお断りしています」なんていう銭湯があるということ。絶対ないはずなのに、いやいや、もしかしたら世界のどこかにあるかもしれないと思わせる力が、この絵本にはある。
 そこでは「えいようまんてん 竹林牛乳」の「サササイダー」が売っていたり、銭湯にかかっているタイル画が富士山ではなく、パンダの故郷の中国奥地の水墨画だったりして、そんなことは絶対ないはずなのに、いやいや、もしかしてと思ってしまう可笑しさである。

 さらにパンダの白黒模様。あれが洋服のようにして脱衣できるなんて誰が考えるだろう。
 そんな馬鹿げたことは、いやいや、あるかもしれない。
 黒い服があると百歩譲っても、目のまわりの黒い模様はどうするんだとなるにちがいない。
 いやあ、あれはサングラスで、ともなれば、もう開いた口がふさがらない。
 サングラスの下にはちょっと鋭い目があるしたら、ないない、そんなこと絶対ない、なんていえるか。

 父と息子のパンダがこうしてお風呂にはいっていく。
 待てよ、耳の黒はそのままか、とつっこみたくなりますよ、絶対。
 でも、大丈夫。二人(二頭?)が頭を洗ったら、耳の黒も流されます。
 なになに、耳の黒は何だったの。その説明はちゃんと最後に出てきますから、大丈夫。

 こんなに楽しいナンセンス絵本にお目にかかるのは珍しい。
 作者はtupera tuperaとありますが、そもそもこの名前にして意味があるのかないのかわからない。
 実際は亀山達矢と中川敦子のユニット名らしい。
 だとしたら、絵本界の木皿泉かとつっこみたくなる。
 不思議な世界観が似ていなくもない。
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自信を持っておすすめしたい この工場でつくっているのは  投稿日:2016/05/01
ガスこうじょう ききいっぱつ
ガスこうじょう ききいっぱつ 作: シゲリ カツヒコ
出版社: ポプラ社
 なんといってもこの絵本のタイトルに惹かれました。
 『ガスこうじょう ききいっぱつ』なんていうタイトルは絵本の世界ではあまり見かけません。
 どんなお話なんだろうと思います。
 それと絵のタッチです。
 表紙の絵でいうと、ヘルメット(工場のタンクのようです)をかぶったおじさんの顔がとても細かく描かれています。
 眉毛、ひげ、指のしわ、リアルさを感じる絵です。
 タイトルにこの絵のタッチが合わさると、まるでハリウッドのエンターテインメント映画が始まるような、ワクワクドキドキ感が高まってきます。

 ここは大きなガス工場。
 そこではたくさんのおじさんが働いています。
 材料が送られてくる、それが仕分けされ、大きな管を下って集積されていきます。
 おじさんたちのリアルな表情は変わりませんし、工場の内部の様子も細かく描かれています。
 それに視点が下にあって、見上げる形で描かれているので、工場の大きさも実感できるように工夫されています。
 ある時は上から下を見下ろす視点にもなっていたりします。
 でも、こんな大きな工場でどんなガスを作っているのでしょう。

 面白いのはおじさんたちの食事。
 今では懐かしい弁当箱にはいっているのは、日の丸弁当ではないですか。
 近代的な工場と日の丸弁当のギャップがいい。
 そういえば、おじさんたちもどこか昭和のおじさんぽいです。
 工場の研究室も描かれていて、出て来る研究員もお茶ノ水博士のようだったりします。
 でも、この工場はなんの研究をしているのでしょう。

 ガスができあがって、いよいよ発射のようです。
 なりゆきをたくさんのおじさんたちが見守っています。
 ところが、どうしたことでしょう。
 何かの圧力、それはガスを発射させまいとする力なんですが、がかかってガスタンクに爆発の危険が迫ってきます。
 いよいよエンターテインメント最大の山場です。

 さすがにこれから先は書けません。
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自信を持っておすすめしたい どこかで育っているのかしら                   投稿日:2016/04/24
じぶんの木
じぶんの木 作: 最上 一平
絵: 松成 真理子

出版社: 岩崎書店
 絵本だからといって幼児だけが読むものではない。
 大人が読むのに十分な絵本や中高生でも読んでもおかしくない絵本はある。
 この絵本の場合、小学高学年あたりの児童を読者として想定しているのだろうか。
 ちょうど、生とか死について考えだす年頃といっていい。

 山奥の村に住む、わたるという少年がこの物語の主人公。
 村の小学校は今ではわたる一人になっている。
 そんなわたるの友人というと、ひいじいちゃんの「伝じい」、93歳。
 伝じいは昔熊撃ちとして鳴らした猟師。32頭の熊を撃ったり、雪の中熊の穴で一緒にいたこともあるという。
 そんな伝じいが病気で入院してしまう。
 わたるは伝じいの話を聞くのが大好きだから、毎日病室に通っている。けれど、病室のドアを開ける時、少し怖くもなるのだ。
 だから、伝じいからおそわったいのりの言葉をつぶやくこともある。
 いよいよ伝じいが弱ったきた時、わたるは伝じいが見たいといっていた大朝日岳を替わりに見てくることを約束して、それを実行するのだ。

 「伝じい、見てきたぞ」と病院に駆け込むわたる。
 このページに描かれたわたるの顔がいい。絵を担当しているのは松成真理子さん。
 わたるの目の奥に山の風景が見えるといった伝じいの気持ちが伝わってくるような絵だ。
 死のまぎわ、伝じいはわたるに「じぶんの木」の話をしてくれる。
 それは、人は生まれると「どこかにポッと」同じように木の芽がでるのだという。それが「じぶんの木」。
 その木はその人が死んでもいつまでも生き続けるのだと。

 子どもたちに死のことを話すことは難しい。
 それは生きることを説明するのと同じくらい難しい。
 いや、逆かもしれない。生きることを話すのが難しいから死のことは話しづらいのかも。
 この本は絵本だけれど、とっても深い意味が込められた作品だ。
 深い意味を松成真理子さんの絵がやさしく包んでくれている。
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自信を持っておすすめしたい 子どもには気をつけろ  投稿日:2016/04/23
わたしの世界一ひどいパパ
わたしの世界一ひどいパパ 作: クリス・ドネール
絵: アレックス・サンデール
訳: 堀内 紅子

出版社: 福音館書店
 おとなになると、色々なものを手にいれることができる。
 お金、恋愛、家庭、その他もろもろ。
 その反面、失うものもたくさんある。
 その一つが絵本とか児童書の世界だ。
 もっとも絵本であれば、子どもができればもう一度出会えることもあるが、児童書ともなれば、子どもたちは自分で読んでしまえるから、なかなかおとなが読む機会が少ない。
 だから、その世界がどんなふうになっているのか、知らないことが多い。
 この本もそうだ。
 「小学校中級から」となっている、フランスの作家による翻訳児童書。
 小学校の中級ともなれば、こういう世界観さえ理解できることに驚く。

 表題作である「わたしの世界一ひどいパパ」は、このタイトルから書かれている内容は本当は世界一いい父親を描いた物語ではないかと想像していたのだが、何しろ読むのは小学校中級ですよ、本当にひどい父親が登場する。
 元消防士のパパは自分で放火してそれを消し止めていたくらいですから、なんという悪人。けんか、賭博、それにかわいい娘がいるのに愛人までいる、どうしようもない男。
 今は刑務所にいる。母親と娘が面会にやってくるのだが、その機会をうかがって、なんと脱走してしまう。待っていたのは、愛人。父親と愛人に連れられて、娘の逃避行が始まる。
 児童書でここまで書いていいのと、つい思ってしまう。
 ところが、なんともすがすがしいのだ。
 ラスト、「世界一ひどいパパ」から救い出された娘が、父親とのことを生き生きと絵にする場面では、子どもの感性とは、いいこととか悪いことといった区分けではなく、どうしようもなく生きていることに反応することがわかる。

 その他の二つ、「弟からの手紙」も「ぼくと先生と先生の息子」も、行儀のいい家族が登場する訳ではない。
 「弟からの手紙」のお兄ちゃんは、同性愛者(といっても、それをあまり感じさせないが)という設定というのもすごい。

 子どもはおとなが考えている以上に、ずるがしこいし、欲深い。
 愛の独占なんて、当然と思っている。
 おとなになるということは、そういうことを捨て去ることかもしれない。
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自信を持っておすすめしたい 絵本の可能性  投稿日:2016/04/10
壁 ベルリン ひきさかれた家族
壁 ベルリン ひきさかれた家族 作・絵: トム・クロージー・コール
出版社: 汐文社
 絵本はくまさんやうさぎちゃんだけを描く世界ではない。
 怪獣やあおむしだけが絵本の主人公ではない。
 絵本は実に広い世界を描ける、表現形態だと思う。
 例えば、昔話。しかも誰もが知っている世界であっても、絵本作家の画風によってとらえられる印象は違うし、現代風にアレンジすることもできる。
 例えば、ファンタジー。これは絵本の得意とするところ。空を飛ぶ象がいたってダンスをするカバがいたっておかしくない。恐竜と戦うのだってへっちゃら。
 例えば、今のおはなし。パパがいてママがいて、弟がいる。いや、パパのいない家庭だってあるし、ママのいない家だってある。おかしい話、悲しい話、たのしい話。なんでもあり。
 そして、この絵本のように本当にあった歴史のひとこまを絵本として表現することだってある。できれば、誰かがそばにいて、周辺のことも話せたらずっといい。
 絵本の世界は実に多様。
 絵本に描けない世界は、もしかしたらないんじゃないかな。

 この絵本が描かれたのは2014年。
 1989年11月にベルリンの壁が壊されてから25年の月日が経っていた。
 それまで描けなかったと訳ではないだろう。
 だとしたら、その月日は何を意味しているのだろうか。
 それは、記憶の風化のような気がする。
 第二次世界大戦が終わって、冷戦時代にはいっていた1961年、突然西ベルリンを包囲するように作られた「ベルリンの壁」。
壁によって分断されたのは国家や思想だけでなく、家族や恋人たちもそうであった。
 この絵本に登場する家族もそうであった。
 父は西に、母と子どもたちは東に。
 この「壁」を決死の覚悟で越えようとする人々がいた。
 ある人は運よく、またある人は力尽き。
 そして、絵本の少年もまた「壁」を越えようとする。

 「壁」が壊されてたくさんの時間が過ぎていった。
 その時間の経過の中で、かつて「壁」を乗り越えようとした人たちがいたことの記憶が薄れていく。ましてや、小さな子どもたちは「壁」の存在そのものを知らない。
 絵本はそんな記憶をくっきりと蘇させる力さえもっているのだ。
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自信を持っておすすめしたい 幸せな人たち  投稿日:2016/04/03
がたたん たん
がたたん たん 作: やすい すえこ
絵: 福田 岩緒

出版社: ひさかたチャイルド
 吉野弘の「夕焼け」という詩が好きだ。
 満員電車の中の風景。お年寄りに席を譲る娘。礼も言わず平然と座る「としより」。駅で「としより」が降りて、娘はまた席に座った。と、別の「としより」が来たので、彼女はまた席を譲った。今度は礼を言われた。そして、その「としより」も別の駅で降りて、娘はまた座った。今度も「としより」が来たが、娘は席を替わらなかった。
 「やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。」
 そんな少女を見つめている、吉野弘という詩人の心に惹かれる。

 電車にはさまざまな人が乗ってくるから、いろいろな心情がうかがえる。
 この絵本の乗客たちも、そうだ。
 ひとつの長いシートに座っているのは、新聞を読んでいる会社員。膝に猫を入れたバスケットを抱えている女の子。おばあさんは席に正座で眠っている。男の子は本を読んでいる。隣には柔道着を持った体の大きな青年がアンパンを食べている。そして、一番端っこには赤ちゃんを抱いたお母さん。
 一人だけ立っている青年は絵を描いているのだろうか、スケッチブックを持っている。
 これが全部の登場人物。

 「がたたん たん」と電車が揺れると、女の子のバスケットから猫が飛び出した。
 男の子が席を立って、猫を抱きかかえてあげる。
 「キキキキキーッ」と、今度は電車が急停車。おばあさんの膝から毛糸の玉が転がって。おや、みんなでそれを拾ってあげる。
 と、今度は電車の中に小鳥が飛び込んできたぞ。さあ、どうなるのか。

 小さなことでまったく知らない人が少しずつ笑顔をかわすようになっていく。
 そのたびに絵本の中の人たちに彩色されていくという憎い工夫がなされて、やがて電車は駅に着いて、みんな降りていく。
 なんだか楽しそうだ。
 ふたたび、吉野弘の「夕焼け」に戻ると、最後にはこう書かれている。
 「やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるのだろう。/下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで。」
 この絵本の人たちは、美しい夕焼けを見る人たちだ。
参考になりました。 0人

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