全616件中 501 〜 510件目 | 最初のページ 前の10件 49 50 51 52 53 ... 次の10件 最後のページ |
あなたには「アイタイ」人がいますか
|
投稿日:2016/01/11 |
長谷川集平さんは2011年3月11日の東日本大震災以降、いくつかの作品で震災や福島原発事故を暗示する作品を発表してきました。
この作品もそのひとつです。
長谷川さんはこの作品に関して、こんな言葉を残しています。
「1984年に描いたショートショート・コミック「再会」。1986年にチェルノブイリ原発事故。1988年に絵本化を思いついたものの出版のチャンスがありませんでした。3.11を経験して、この作品が語り出す時が来たと感じています。「再会」は「アイタイ」になりました。会いたいあの人に届きますように」
一人の少年が歩いている。これがこの絵本の最初のページ。
少年の頭上に不気味な大きな雲が覆ってきます。「ツイニ キタカ」、少年は空を見上げながら、そうつぶやきます。
黒い雲の下で少年は「アノヒトハ イマ ドコニ イルノカ」と思います。そして、「アイタイ」と。
場面は変わって、少女がひとり歩いています。
彼女は自分の影の中に、いつもいる「チイサナ ムシ」を見つけます。「マタ アッタネ キミ」。
影の中の小さな虫を見つめながら、少女は「アノヒトハ イマ ドコニ イルノカ」と思います。そして、「アイタイ」と。
小さな虫は少年だということも知らないでー。
長谷川さんはこのラブストーリーのような絵本にどんな思いを重ねているのでしょうか。
津波や原発事故で肉親を喪ったり、自分たちが生まれ育った故郷を追われて人たちがたくさんいます。理不尽な別離に「アイタイ」という思いはいつもありつづけます。
それをもっと大きな世界で見ればどうでしょうか。
私たちはこの絵本の世界のように、遠く離れさった人たちといつも一緒にいるのかもしれません。ただそのことに気がつかないだけで。
「アイタイ」人を想うというのは、会えることにつながっているのではないでしょうか。
ホワイトボードを引っ掻いてできた錆の線。それにパソコンで彩色したという長谷川さんの異色な絵本は、深い思索の時を読者にもたらしてくれます。
あなたには「アイタイ」人がいますか。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
ななくさ なずな とうどの とりが
|
投稿日:2016/01/10 |
正月向けのクイズでよくあるのが、「春の七草全部言えますか」。
これは難問。
答えを書くと、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、の7つ。
名前を聞いても、はてどんな草なの? と首をひねってしまう。
そういう人はぜひ、この絵本を開いてみて下さい。
この絵本の主人公きりかちゃんのおばあちゃんが丁寧に教えてくれます。
ちなみに、すずしろというのはダイコンのことです。
正月7日は七草粥を食べるという習慣が昔からあります。
俳句の季語を集めた「歳時記」では「新年の部」に載っています。
そもそも七という数字には聖なる意味があるようで、それと同じ数の菜を炊き込むのは、春の到来を喜ぶとともに数の力が期待する意味もあるようです。
7日あたりにはパックに七草をいれてスーパーでも販売されていますから、今でも残るいい習慣です。
この絵本の中でも、きりかちゃんのおとうさんがパックを買ってきています。
正月はおせちがあってつい暴飲暴食をしがちです。
元旦から一週間がたって、胃もお疲れでしょうから、お粥を食べるのもいいですね。
それに、白いお粥に菜の緑が映えますから、見た目もきれいな料理です。
絵本ではおばあちゃんが大活躍。
きりかちゃんも弟のこうたも、おばあちゃんのじゃまはしてないかな。
なんと、おばあちゃんは「七草がゆの唄」まで歌ってくれるのです。
「ななくさ なずな とうどの とりが ・・・」、でも、どんなメロディーなのでしょう。
きりかちゃんの家はおばあちゃん、おとうさん、おかあさん、それにきりかちゃん姉弟ですから、こういう伝統が伝わりやすい。どこかでそれが切れてしまえば、いい習慣も途絶えてしまいます。
もし、きりかちゃんが七草がゆをおばあちゃんから教えてもらえなかったら、きりかちゃんが大きくなっても伝わっていきません。
それでも、この絵本があれば、それもなんとか防ぐことができます。
絵本というのは、そういう大切なものを伝える情報でもあるのです。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
みんな ふくふく まいにち にこにこ
|
投稿日:2016/01/03 |
日本には四季折々の行事とか風習があって、時代がどんなに変わって、それは大事にしたいと思います。
日本の絵本はそんな文化を大切に守ってくれているところがあって、子どもたちにもわかりやすく描かれているのがうれしい。
この『おふくさん』という絵本もそんな一冊です。
山の奥深くにこの絵本の主人公おふくさんたちが「みんな ふくふく まいにち にこにこ」しながら暮らしています。
ここには十人のおふくさんが住んでいるのです。
それぞれの名前と性格が表紙裏に描かれています。お習字が得意なむつきさんとかお世話が好きなうづきさんとか本が大好きふみちゃんといった具合に。ちなみに彼女たちの名前は月の旧名がつけられているのですが、おふくさんたちは十人ですから、二つだけつけられていない月があることになります。絵本で探してみて下さい。
そんな平和な家にある日、怖い赤鬼がおふくさんたちをこわがらせにやってきました。
でも、大丈夫。
おふくさんたちは「おにさん どうすりゃ わらうかな?」なんて考えてしまうくらいですから。
きせかえごっこや豆大福のごちそうで、赤鬼を笑わせようとしますが、反対に怒ってしまいます。
そこで、全員が集まって、ひそひそ打ち合わせをして、にらめっこ対決をすることに決めました。
まずは、おふくさんたち。「ぷ!」とほっぺを膨らませます。
赤鬼もまけじと「ぷ!?」。
おふくさんたちは、さらに「ぷー!」。
ページいっぱいに描かれたおふくさんたちの変顔。ここがこの絵本の読みどころです。
きっと、子どもたちはこのあたりでゲラゲラ笑い転げるのじゃないかな。
さあ、おふくさんたちは赤鬼とのにらめっこ対決に勝てるでしょうか。
この絵本の最後に、「笑う門には福来たる」という言葉について作者の服部美法さんのコメントがついています。
「つらいとき、かなしいときは、みえない おにが」やってくるのだとか。そんな時こそ思いっきり笑おうって。
こんな楽しいおふくさんたちはきっと私たちの心の中に住んでいるのではないでしょうか。
|
参考になりました。 |
|
1人
|
|
|
雪、降らないのかな
|
投稿日:2015/12/27 |
今年の冬は近頃めずらしいくらいの暖かさだ。
暖冬と一言で片づけるには深刻なくらい暖かい。
冬の寒さや大雪も嫌なものだが、それでも冬だからと辛抱できないことはない。それがこれだけ暖かいと、生活の色々なところに支障が出てくる。
なんといってもスキー場。雪が降らないのだからすべりようがない。
洋服屋さんも冬物が売れないと困る。コートとか生地を多く使う冬物衣料は洋服屋さんにとって大切な売り上げだ。
もちろんこの暖かさで雪下ろしをしなくて楽だという人もいるだろう。
それでも、冬は冬らしい気候がいい。
雪を待ち焦がれる人にとって、毎日の天気予報を見ることは欠かせられない。
あるいは天気次第で売上高が変わる小売店などは天気予報は大事な要素だ。
天気予報が絵本になるなんて考えてもみなかったが、大阪のギャクのノリがいい長谷川義史さんにかかったら、天気予報だって楽しい絵本になってしまうのだから。
家の前で元気に体操をしているお父さん。その絵に「きょうのやまださんちは はれ」と文がはいる。
ところが、次のページでは「こうずい」。えー。どうして? と、絵を見ると、やまださんちの男の子のふとんには大きなおねしょのあと。確かに洪水なみ。
やまださんちはお父さん、お母さん、男の子、そしておじいさんとおばあさん。
こういう家族構成もだんだん少なくなってきたが、ドラマになりやすい。
昼ごはんのあとで韓流ドラマを見て泣いているお母さんは「にわかあめ」。
おじいちゃんが食べているのは「あられ」、おばあちゃんはかき氷の「みぞれ」を食べている。
押入れを開けたら、中からおもちゃが「なだれ」落ちて、ついにお母さんの「かみなり」。
そのでも、この一家のいいところは、夜にともなれば、みんなにこにこ。
「そして あしたも やっぱり はれるでしょう」。
この絵本を読むと、私たちの生活の中にさまざまな天気が影響していることに気がつく。
だから、天気予報はつい見てしまう、大事な情報源なのだ。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
一年に一度の夜だから
|
投稿日:2015/12/24 |
絵本とクリスマスはとても相性がいい。
雪の白、サンタクロースの赤い服、緑のクリスマスツリー。黄色の星、クリスマスは多彩な色を持っているから、絵本になりやすいということもあるのだろう。
それに子どもの夢とサンタクロースの持ってくる贈り物とつながっているというのも、いい。
毎日がクリスマスだったら、どんなにいいだろう。
クリスマスだからこそ、贈り物に絵本というのも似合っているではないか。
だから、とても繊細なタッチの絵を描く黒井健さんの絵本には「ギフト版」とついている。ラッピングがとても似合う絵本だ。
子ども向けではなく、彼女にさしだすのもいいだろう。どういう反応をしめすか見たいものだ。
この絵本の表紙のサンタさんは自分で赤い服のボタン付けをしている。
この絵本は12月24日のクリスマスイブの日にサンタさんがどんな一日を過ごすのかが描かれている。
まずサンタさんは、もっともこの絵本では「サンタクロース」という言葉は一度も出てこないのだけど、朝昇ってきた朝日にお祈りする。そのあと、朝食のしたく。ベーコンを焼いたり、スープを煮たり。
この日の目玉焼きは二つ。大切な日なんですから。
そうそう、相棒のトナカイたちにもえさをあげないと。
朝の一仕事が終わったら、暖炉の前を本を開きます。でも、ついうとうと。
そうして、今度はランチ。
「スモークチキンと自家製のイチゴジャム」でサンドイッチをこしらえます。
半分は夜のお弁当。
サンタさんは夜通し働きづめですから、おなかもすくのでしょう。
そうしている間に、「一年に一度の夜」がやってくる。
3月3日だって、5月5日だって、「一年に一度」の日ですが、12月24日はサンタさんにとってとっても大切な「一年に一度の夜」なのです。
きっとそれは一生にたった一度の夜なのかもしれない。
「どうしてこの絵本を私に?」って聞かれたら、こう答えませんか。
「一年に一度の夜だから、君と一緒に読みたかったんだ」なんて。
どういう反応をしめすか見たいものだ。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
あなたが天使
|
投稿日:2015/12/23 |
天使に会ったことはありません。
といっても、M製菓の背中に翼のはえたかわいい天使に会ったことがないだけで、もしかしたら人間の姿に変身した天使にはこれまでもたくさん会っているのかもしれません。
私たちは見たままの姿でその人のことを判断してしまいがちです。でも、よくよく見ると、実はその人がとっても優しかったり、おこりんぼうであったり、さみしがりやであったりがわかってきます。
きっとその中には天使もいたのではないかと思います。
よく見ると、絵本を読んでいる子どもたちみんなが天使みたいではありませんか。
三日間降り続いた雪がようやくやんだまっ白な世界を一人の少女が歩いてくる、そんな場面からこの絵本は始まります。少女の名前は、サイちゃん。
家に帰ったサイちゃんは家の外にウサギを見つけます。ウサギを見ながら、不思議の国のアリスのように、ウサギについていきたいと思うサイちゃんは、どことなく寂しそう。
そんなサイちゃんを気づかってか、サイちゃんの大好きなマコおばちゃんが泊りにきました。
マコおばちゃんと散歩に出たサイちゃんはとっても楽しい遊びを教えてもらいます。
雪の上に寝転がって、手足をばたばた動かしてみるのです。
すると、どうでしょう。
雪の上にまるで天使がいるような形ができます。
マコおばちゃんはこの遊びをアメリカで知ったそうです。
いつも子どもを見守ってくれいる天使たち。
サイちゃんにとって、マコおばちゃんは天使だったのかもしれません。
この絵本はそんなお話。
長谷川集平さんの絵はどこまでもやさしい。そして、ちょっぴりかなしい。
人は悲しいとか寂しいという気持ちをもっているから、他人に対してもやさしくなれるような気がします。ちょうどこのマコおばちゃんのように。この絵本の作者の長谷川集平さんのように。
きっとこの絵本を読んだあと、天使に会ったような気持ちになります。
よおく見ると、読んでいるあなたが天使になっていませんか。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
あなとあな
|
投稿日:2015/12/13 |
この絵本を読んで、谷川俊太郎さん文、和田誠さん絵による『あな』という絵本を思い浮かんだ人は相当の絵本通です。
この絵本は長谷川集平さんによる『あな』へのオマージュ(尊敬・敬意)なのです。
実は長谷川さんの代表作でもある『はせがわくんきらいや』は谷川さんたちの『あな』と同じ1976年に刊行されています。
きっとそのことがこの作品を描いた動機だったのでしょうが、長谷川さんは谷川さんたちの絵本にもっと大切なものを感じとっていたと思います。
この本の最後に、こんな文があります。
「ここに だいじなものが うまってる」
長谷川さんにとって、谷川さんと和田さんが開けた「あな」は、子どもの感受性や空想の世界をどこまでも広げてくれる「あな」そのものだったのでしょう。
全体が谷川さんたちの『あな』によく似ています。おかあさんやおとうさんや妹が来て、色々いう。けれど、少年は何かに夢中になっている。長谷川さんのこの絵本では、転校生のふくしましろうとのキャッチボールです。
これはうがった見方かもしれませんが、この転校生は福島原発事故で転校をよぎなくされた少年なのかもしれません。
そういうことを全部含めて、彼らが夢中になっていること。
それに意見するものがいるということ。
私たちの世界はそういうことで出来ている。
長谷川さんは谷川さんたちの絵本からそういうことを感じとのではないでしょうか。
この絵本に付いている帯に谷川さんがこんなメッセージを寄せています。
「集平さん、素敵な返球ありがとう! 穴に埋められた40年の年月が、絵本の中で今日の青空に溶けていきます。」
なんと素敵な言葉でしょう。
この絵本の中でひろしくんとしろうくんはキャッチボールをしているのですが、長谷川さんと谷川さんも絵本という世界で、言葉のキャッチボールをしているのです。
だから、40年という時間が一気に埋まってしまいます。
絵本にはそんな力もある、ということを改めて感じさせてくれた一冊です。
|
参考になりました。 |
|
1人
|
|
|
ヘンなタイトル以上にヘンなお話
|
投稿日:2015/11/29 |
この絵本のタイトルを見て、変なこと、想像した人いませんか。
私は、少し、しました。
でも、これはタイトルみたいな変なことではなく、もっと変わったお話です。
まず、最初に書いておくと、タイトルの「チンチンボンボ」というのは、富山の方言で「肩ぐるま」のことだそうです。
作者の女優室井滋(しげる)さんが富山県出身なので、このタイトルがついたのでしょう。
表紙の見返しに「かたぐるまのこと なんていう」と各地の方言がでています。
「くびあけ」「びびんちょ」「うまたんこ」「てんま」・・・そのどれがどの地域の方言なのかわからないくらいたくさんあります。
そういえば、私の小さい頃は「かたうま、して」とせがんでいたような。大阪です。
少し自信はありません。
この絵本のお話は、富山に肩ぐるまの大好きな男がいて、いつもいつもお父さんに肩ぐるまをねだっているところから始まります。
そのうちに、男の子のお尻から根っこがはえてきて、お父さんの肩にしっかり根を下ろしてしまいます。
おそばを食べる時も、お風呂にはいる時も、男の子はお父さんの肩から降りないのでどんどん根っこは太くなっていきます。
いつもお父さんの肩にのっていますから、高いところの用事もへっちゃらです。
富山は雪国ですから、屋根の雪下ろしも平気です。
でも、お父さんは困りますよね。
いつも高いところが見ることができるので、男のクラスの背の低い女の子までが「チンチンボンボしてほしい」とねだり始めて、その女の子はお父さんをよじ登り、男の子の肩にまでのってしまいます。
海のホタルイカの群れまで見えてしまいます。
ところが、その女の子と同じことを考える子どもたちがいて、みんなどんどんお父さんをよじ登り、男の子をよじ登り、という具合に、子どもたちの「チンチンボンボ」はうんと伸びていくのです。
最後にどうなってしまうかはお楽しみとして、ね、タイトルも変だけど、お話もヘンでしょ。
そんなヘンはお話に長谷川義史さんの絵は、どうしてこんなに合っているのでしょう。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
遊びは世界を知る最初
|
投稿日:2015/11/27 |
「本は大切にあつかいなさいよ」、そんな小言を子どもたちに言ったことはありませんか。
でも、お願いですから、この絵本に限ってはそう言わないで下さい。
むしろ、「本全部を使って遊んでいいよ」と言ってあげてください。子どもたちにこの絵本を渡した瞬間、子どもたちは身体いっぱい使って、この本と遊ぶにちがいありません。
押したり、揺すったり、立てたり・・・。
でも、驚かないで。それでいいのです、この絵本はそういう作品なのですから。
そもそもこの絵本には「これは、よむほんでは ありません」と、はっきり書かれています。
本だから「読む」もの、というのは誰が考えたのでしょうね。
本はもっと自由でいいのではないでしょうか。
この絵本では「まるで いきているような」、黄や赤や青の「まるを つかって あそぶ」ようにできています。
遊ぶ? 絵本で遊ぶ? そうです。絵本で遊ぶのです。
少し遊んでみませんか。
白いページに黄色いまるがひとつ。「きいろいまるを おして つぎへ いこう」と書かれています。
さっそく、黄色いまるをおして、次のページをひらくと、あれれ、黄色いまるが二つに。
これって、おとなの人たちが夢中になっているスマホみたいですね。
指一本で世界が変わっていく。
もっとページをひらいていきましょう。
左のページに黄や赤や青のまるがかたまっています。「みぎに かたむけたら・・・? やってみる?」と書かれています。
もちろん、やってみます。右に傾けて、ページをひらくと、あらら、黄や赤や青のまるは右のページにうつっています。
この絵本はただ単にページをひらくものではありません。
絵本全部で遊ぶ本なんです。
そして、大きな世界を感じる絵本なんです。だって、子どもたちの手の中にあるこの絵本は生きているのですから。
フランスの絵本作家エルヴェ・テュレに日本の詩人の谷川俊太郎さんが訳した、これは「あそびのほん」です。
遊ぶって世界を知る、最初の一歩ですもの。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
もっと本のことが知りたい
|
投稿日:2015/11/26 |
本のことを初めて知ったのはいつだったろう。
生まれた時からあったにちがいないが、生まれた時のことは覚えていない。小学校にはいって、教科書というものを手にした時が最初なのか、その前に幼稚園に行っていたのだからそこでは絵本はあったはずだが記憶はない。
あるとしたら、本はずっとそばにあった(はず)という感じだけだ。
そして、今はたくさんの本に囲まれている。本を手にしない日は、ない。
けれど、本のことをどれだけ知っているだろう。
「本のことがわかる本」という、このシリーズは子ども向けに書かれていて漢字にはルビもふってあるけれど、3冊ものということで内容はとても詳しい。
その1では、タイトルのとおり、「文字のはじまり」から説明がされている。
でも、そもそも本って何だ?
1964年にユネスコで定義されていたことが、ここには記載されている。こういうことはあまり知らないだろう。そういうことが載っている本だということだ。
「表紙を除いて本文が49ページ以上の非定期刊行物」がその定義だ。
つまり、49ページ以下のものは本来は本ではないということになるが、そもそもこの本自体が31ページしかない。では、これは本ではないかというと、ユネスコの定義には例外もあるということらしい。
そこで、「現代のおける「本」の条件」というものが説明されている。
まずは、「コンテンツ(内容)があること」。次に、「表紙があって製本されていること」。それに「持ち運びができること」となる。
製本といっても、「糸とじ」とか「無線とじ」とかいくつもの方法があって、この本にはそんなことも書かれている。多分大人だってあまり知らないことかもしれない。
それが「本の条件」だとしたら、「電子書籍」は本にあてはまるのだろうか。「表紙があって製本されて」いないじゃないか。
これは紙ができる以前の粘土板やパピルスに文字が書かれていた時代に近い形態かもしれない。
本ではないが、情報を伝達しうる最新の技術として。
本が好きだから、もっと本のことが知りたい。これは恋愛感情に似ている。
|
参考になりました。 |
|
0人
|
|
|
全616件中 501 〜 510件目 | 最初のページ 前の10件 49 50 51 52 53 ... 次の10件 最後のページ |