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環境破壊を考える本
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投稿日:2011/11/13 |
友人が、訳者・さかよりしんいちで検索をかけていたら出てきた本として紹介してくれました。
チャルノブイリ以上の原発事故が起きたらという近未来小説『見えない雲』を描いたグードルン・パウゼヴァングが作者でもあるのです。
パウゼヴァングは小学校教師のかたわら創作活動をしているということです。
「わたしたちは、原子力になれているから、まちがいなんて、おこるわけがない。ちゃんとやるから」
「やだよ、とうさんたちのつくって未来なんて、まっぴらだよ。年じゅうびくびくしてなくちゃいけない未来なんて」
というのは、この絵本に出てくる大人と子どものとのやりとりです。息子がこの絵本を読み聞かせしくれたのですが、子どもの言葉を借りて、地球の悲鳴を代弁しているかのような話でもありました。
内容を少し説明すると、地球に負荷をかけすぎた結果、地球が悲鳴をあげ、聞く耳を持たない大人ではなくて、子どもたちに今の生活のあり方を訴えるのです。
福島原発事故後、今の便利な生活のあり方、本当に安全なエネルギー、地球に負荷をかけない生き方を模索し始めた方も多いと思います。
未だ収束の目途も立たない原発の事故。放射能に怯える生活。原子力発電で出た廃棄物を捨てる場所さえ確保されておらず、トイレのないマンションとも呼ばれる原子力発電。
今の現状とこの絵本の訴えるメッセージが私たちに問いかけるものは非常に大きいと言えます。
子どもが大人になる時代に、負の遺産を残さないように、今大人である私たちが賢明に考えて行動していかなくてはと思うのです。
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読んだ人がどんな風に感じるのか?
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投稿日:2011/11/13 |
この絵本も高学年の読み聞かせリストの中で見つけたものです。
でも、この絵本感想を書く人泣かせの絵本かもしれないと思ったのは私だけかもしれません。
読んでいる時、クスッとするところもあるし、読後「ああよかった」とも思える、でもこの感情って何なの?と問い直して言語化するのって難しい。
犬とおばあさんだけの生活の中に、入り込んできた一匹のねこ。おばあさんがねこに興味を示すのがおもしろくない犬。
その生活で充足している二者関係にとって、その関係が三角関係になるのは好ましくないのかもしれない。
犬とおばあさんとの関係とだけ考えると限定的だけれど、こういうことって、たとえば下の子が生まれる時の上の子の気持ちとか、生活の中でも同じようなことはありそうで。
先に気がついた人が折れるというのかな。自分の内的な枠を広げるってこんなことをいうのかなとも思えてました。
わかりにくい感想ですけれど、読んだ人がどんな風に感じるのか?感想を聞いてみたい本の一つです。
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大人がまず知ってほしい
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投稿日:2011/11/13 |
第五福竜丸での事故が起きた後、日本では食べるものに困った主婦たちが中心になり、原水爆実験禁止の署名活動がおき、それが国際会議へとつながっていったことを、福島原発の事故後に知りました。
この本は2006年に出版されており、ベン・シャーンの絵を元にアーサー・ビナードが話をつけています。
「石に刻む線」というあとがきの中でも詳しく紹介されています。
広島・長崎と唯一の原爆被曝国である日本。水爆実験後に、原子力の平和利用として稼働が始まった原子力発電。
今また見えない放射能の影響に怯える生活が再び日本に起きてしまったことを考えると、その間にいかに私は何も考えずに過ごしてしまってきたのかを思うのです。
理不尽で悲しい出来事はいつの世にも起こりうるのかもしれない。でもその教訓を次に生かすということがなければ、歴史は同じ過ちを何度も繰り返してしまうのではないか。
そのためには歴史を正しく知ること、それを正しく伝え続けて行くことを思うのです。
正直なところ、この本の存在を知ったのも最近です。子どもがというよりはまず大人が先にこの本の存在を知ってほしいと思います。
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不気味さと小気味よさと痛快さ
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投稿日:2011/11/13 |
この絵本も高学年向けの読み聞かせリストの中で見つけました。
とても不思議なタイトルと思って読み進めると、診療費が払えないおばあさんが置いていったのが正夢が本当になる「まさ夢いちじく」だったわけです。
夢っていい夢の場合もありますが、悪夢という場合もありますよね。そう考えると、うっかりとは使えない、でも使ってみたいという願望が心をそそります。
そのいちじくを手にした人が、欲深でいかにも性格が悪そうな歯医者という設定であるところがまた興味を引くのです。
まるでショートフィルムを見ているようなお話で、ページを開くとつい引き込まれてしまうでしょう。
不気味さと小気味よさと痛快さが共存する不思議なお話です。
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おじいちゃんのとぼけた感じ
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投稿日:2011/11/13 |
海に来ている孫とおじいちゃん。海辺で遊ぶ孫、でもおじいちゃんは背を向けて本を読んでいるので、孫とは言葉のやりとりのみ。
展開していくことは、読者には絵でわかっていて、おじいちゃんにはわかっていないのがおもしろさを感じる一つでもあります。
高学年向けに向く読み聞かせリストの本で見かけたのですが、園児さんぐらいから楽しめそうな本です。
おじいちゃんの読んでいる本に注目するとまたおもしろいです。SF的な進行もまた楽しい。
何にせよ、絵をしっかり見るとおもしろさが増しそうです。おじいちゃんのとぼけた感じがまたいい味わいです。
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おかしみを漂う
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投稿日:2011/11/12 |
大きな木の近くに住むきつねととりとももんがー。
大きな木というすみかを中心としたコミュニティーのようにも見えて来ます。
きつねが捕まってしまうというアクシデントもありますが、仲間同士のつながりの深さを感じました。
どことなく牧歌的で、静かでのんびりとした空気感もありながら、おかしみも漂うそんな話でした。
岸田衿子さんと中谷千代子さんのコンビの絵本は意外に多く、お二人はお友達だったということもあるらしく、お互いの作品の世界観をよく理解しておられたのではないかと思います。
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息子のお泊りを思い出す
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投稿日:2011/11/12 |
確か小学二年生のゴールデンウィークだったと思います。この本にあるように子どもたちだけで泊り合宿をする旅に息子を行かせたことがあります。
一人っ子だし、集団で子ども同士で過ごす経験をさせたいと思ってのことでした。
この絵本のように子どもの気持ちを優先したわけではなくて、親の行かせたい気持ちを優先させて行かせたのです。
二泊して楽しそうに帰ってきて来年も行きたいと話していたものの、次の年になったらやはり行かないと言います。
この絵本を読んでいると、その時の子どもの気持ちってこんな風だったのかな?と思えて来ました。
子育てをする中では、子どもの気持ちに添うというよりは、親のさせたいという気持ちが優先してしまう時があります。
そんな時にはやはり親の気持ちよりは子どもの気持ちをまず丁寧に聞くことの方が断然大事だとは思うのですが、そうはできないこともあり、過ぎた時間の中で「あああの時はこうだったのだ」と反省することも出て来ます。
息子はその体験もとうに忘れたように、お話を別のものとして切り離して読んでいましたが、私はどうしてもその時のことが思い出されてしまいました。
子どもたちといつも身近に接していらっしゃる柴田さんらしいお話だと思いました。
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高楼方子訳の小公女
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投稿日:2011/11/12 |
『リトルプリンセス 小公女セアラ』(西村書店)を読み終わった時に、この話の魅力を1.勧善懲悪 2.悪役の魅力 3.孤高のヒロインにあると思ってそんな感想を書いていました。
今回の『小公女』(高楼方子訳)は息子にも読み聞かせをしたのですが、同じ話でありながらまた別の思いを読み聞かせ途中から感じていました。
というのは、この話の魅力はセーラの感受性・自尊心の高さ、想像力を含めてのお話を作る能力、語る能力にあるのではないかということです。
ミス・アメリアがセーラは私たちには賢すぎたと嘆く場面がありますが、もちろんセーラが大人を見抜く目は持っています。
その賢さ以上に、セーラが心に秘めていた力の一つは<向こうの世界>へ行ける力ではなかったかと思うのです。
その力をセーラは「思いつきやひらめき」と呼んでいます。
その「思いつきやひらめき」の力で、セーラは王女としてふるまうということをして、そのお話から得た力が、その世界に入ることができないミンチン先生をたじろがせたとでもいえるのではないかと。
あとがきを読んでいたら、セーラが優しい子でありながら、時々とても鋭いことをミンチン先生に言うことはなぜなのか?という話が載っていました。
『セーラ・クルー』という現在の話の三分の一ぐらいのお話が先にあり、それがお芝居として上演され、その後に発展したのが今の『小公女』ということです。
『セーラ・クルー』でのセーラは、「感受性が強く変わり者で意地っ張りで物怖じない」性格なのだそうです。
その元の部分に造型をほどこしていったのが今のセーラということで、時々ふっと強い部分が出るのはそのためらしいということ。
『小公女』になるまでに、芝居になっていたということもあるのでしょう。
セーラの語る言葉もそうですが、話の展開や登場人物も芝居にしたらとてもわくわくするものだと思います。
王女が突然貧しくなるというのは昔話にもありますが、そんな昔話的な話に、いろいろな要素を詰め込んだのが『小公女』とも言えます。
何度も読んだ話なのに、その話に何度も魅了されるのが名作たる所以なのかもしれません。
高楼さんというと『小公女』が出てくる『緑の模様画』。『緑の模様画』をもう一度読み返したくなりました。
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犬に翻弄されている感が
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投稿日:2011/11/07 |
息子に読み聞かせをしたのですが、犬が死んでしまったところで、驚いていました。
マザー・グースなので訳すのは難しいと思うのですが、声に出すとその繰り返しと言葉のリズム感があります。
絵がローベルなのでそれだけでも楽しめそうです。原文と対比させて楽しみたいし、以前堀内誠一さん絵のマザーグースを読んだので、この本と絵や言葉を比較してみたいなあと思いました。
ハバードおばさんが犬に翻弄されているので、犬の動きの方にインパクトありです。
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○歳の誕生日
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投稿日:2011/11/06 |
少し前に「○歳の誕生日」というセレクションを作っている時に「こんな本もありますよ」と教えていただいたのがこの本です。
主人公が男の子ということもあり、『あやちゃんがうまれたひ』(
浜田桂子さんの作品)よりもさらに身近に感じました。
息子に「ほら、Hくんもこんな風な赤ちゃんだったわよ」と見せると「ぼくはスリッパ食べた?」「ぼくは卵を冷蔵庫から出して六個も割ってない」といろいろい言いだしました。
ハイハイをしていた頃はこんな風だったし、歩き始めた頃もこんな風だったなあと感慨にふける親の私とは違って、息子の視線はどこか別のものを見ているのかもしれません。
小学校の低学年で、自分の生まれた頃を振り返る授業がありました。その時に『おやちゃんのうまれた日』は読んだ覚えがあるのですが、その時にも読んであげればよかったと思ったのでした。
子どもの誕生日がきて親が思う思いは「生まれてきてくれてありがとう」。
子どもが生まれてきてよかったという世のなかであるように、大人である親の責任も感じました。
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