主人公の少年はチェロ教室に通っています。 飼っていた犬、グレイを亡くして毎日泣いてばかりいた少年に父さんが買ってきたのは、新しい犬ではなく、チェロでした。 そのチェロの教室に、新しい生徒が入ってきました。 その子と少年は丘の上の草原でチェロを引きました。 その子もまた、鳥のフロルとの別れを経験していたのです。――阪神大震災で。 丘の公園を降りると、二人はチェロを抱えた人たちの集団に出会います。 思わずついていって大きな建物に入った二人は、それが大震災復興支援コンサートの練習に集まった人たちだと知ります。 二人は復興コンサートの参加を申し込み、その日からコンサートに向けての練習を始めます。 少年は来る日も来る日も、練習を続け、そしてとうとう、コンサートの日。 全国から、外国からも集まったチェリストたちは、1000人を超えました。 震災で亡くなった人たちの家族や友達や親戚たちが客席で見守る中、コンサートがはじまります・・・。
自身がチェリストである著者・伊勢英子氏は、大震災から二ヵ月後の神戸を歩き、「描かれることを拒否しているよう」な風景をスケッチすることができなかったそうです。 その3年後、神戸から阪神淡路大震災復興支援チャリティーの「1000人のチェロ・コンサート」への参加の呼びかけの手紙が届きます。
同じ体験――身近な誰かを失うという――を持った人たちが集まり、同じメロディーを奏で、それを聴くことで、孤独な悲しみを少しでも和らげることができるのでしょう。
また、帯に記された言葉が、この物語のメッセージをシンプルに表しています。 「こころはひとつにできる きもちはかさねあえる」
東日本大震災を経て、わたしたちはこの絵本を改めて手に取りたいと思います。
(金柿秀幸 絵本ナビ事務局長)
それぞれの物語をもった人たちが音楽をとおして心をかさねあわせていく。震災復興支援のチェロコンサートを爽やかに描いた絵本。
少し前に読んだ『ルリユールおじさん』が素敵だったので、
なにも考えず、その絵本と同じ、いせさんの絵本だから、という理由で
読みました。ずっしりきました。
阪神淡路大震災を扱っている絵本だったのですね。
娘には、いせさんの絵本だとは話していなかったのですが、置いて
あるのをみつけて、「これってアカシアの木の人と同じ人が描いてる?」
と、訊くのです。鋭いなあ。
でもって、この絵本、娘にはよくわからないのではないかなあとも
思いましたし、わかったとしても重いだろうなあとも思いながら読みました。
やはりなにか、娘の心に響くものがあったようです。
阪神淡路大震災を扱っているとはいえ、娘の中では昨年の東日本大震災
とつながってしまったようです。
読んだ後、しんみりと「絵本作ってあげるから」と(すぐ絵本を作る
娘です)。ほんの2ページほどの絵本は、津波でいなくなってしまった
人が、いつもそばにいるよ、と読み手に語りかけてくれるものでした。
(娘は、いや、娘でなくとも、誰にとっても、だとは思いますが、あの
津波がとても強烈な印象を残してしまったので、ことあるごとに「津波
がきちゃったら」と口にするのです)
もしかしたら、あの震災は(そしてきっとこの阪神淡路大震災も)、
たくさんの、まだまだ大人にならなくていい小さな子ども達の成長を
ずいぶんはやめることになってしまったのかもしれないなあと
思いました。 (ぽこさんママさん 40代・ママ 女の子4歳)
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