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あなたのそばにもいるかもしれない……
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投稿日:2010/02/28 |
そこらへんにいそうでいない不思議なイキモノたちの生態がえがかれています。
「アイソノイイヒト」なんて、ふとんにそっくりだし、「脱皮したての殻がやわらかくてやさしいピズズズ」なんて、針刺しそっくりで、本当に針をさされてしまっていて可哀想。
私のお気に入りは、うっかりしてボールと間違えられて壁にぶつけられてわれちゃった「シマシマちゃん」。ボールというより、たまごにそっくりなのに、どうして間違えられちゃったのかな。
いちばん会いたくないのは、「ムシノイドコロ」。こんな機嫌が悪そうな人とはすれ違いたくもないな。
あなたのそばにもいるかもしれない、不思議なイキモノたちが、不思議な世界と今いる世界の橋渡しをさせたらいちばんの川上弘美さんの訳で紹介されています。
子どもたちだったら、きっともっとたくさんのイキモノたちを見つけられると思うんだな。幼稚園や保育園や小学校で探してみてはどうだろう。そのときは一緒に混ぜてもらいたいな。
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こうえんさまがいる公園を残していきたい
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投稿日:2010/02/25 |
なんといっても、ほのぼのとした絵に魅かれてしまいます。子どもたちの表情や動きもしっかりと観察されて描かれています。見返しの公園の地図を見ているだけで、楽しくなってきます。
おとなりのけんちゃんが大好きで、一緒に遊んでもらいたいがために、公園に虫取りに行く女の子のまあは、かつての作者の姿なのかもしれません。だから、まあの気もちがよくわかるのでしょう。
公園で遊んでいる子どもたちは、実はこうえんさまに見守られているのかもしれません。だから、子どもも安心して遊べるのです。そんな神さまが住んでいる自然の中の公園を残していかなければなりませんね。
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子どもって、すごい!
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投稿日:2010/02/25 |
大人が知らないところに、子どもたちの世界があることに、改めて気づかされました。彼らの過ごす時間の一瞬一瞬は輝いていて、かけがいのないものなのでしょう。
何よりも驚かされるのは、遊びの連続性です。身の回りで起こるいろいろなことから発想を広げて遊びにしてしまう。そして、その遊びの中で気がついたことを、また違った遊びへとつなげていく。この観察力と柔軟な発想は、大人には決してまねが出来ないことです。うらやましくてたまりません。
ダンボール、いろいろな遊びができますね。私も一緒に遊びたくなってしまいました。でも、そこは子どもの世界。彼が想像で作り上げた世界を壊してはいけませんね。
そっとのぞいているお父さんの姿が印象的でした。
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やわらかくなあれ
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投稿日:2010/02/25 |
たかどのほうこと杉浦範茂の絵本だなんて、鬼に金棒ですね。まさに、鬼が出てくる、この絵本にぴったりです。
あたまがかたいから勉強が出来ないのだと、「やわらかくなあれ、やわらかくなあれ」とお母さんがあたまをなでたので、たろうのあたまに勉強のこぶができてしまいます。
たろうと妹のちょんこは、こぶを取ってもらうために鬼に会いに行きます。このこぶさえあれば、勉強がバッチリできるのに、そのままにしておけば良いのに……というのは、大人の発想ですね。
結局、「こぶとりじいさん」のように、二人はこぶを取ってもらうことに成功するのですが、今度は教室で、先生がたろうに「やわらかくなあれ、やわら……」と始めてしまいます。慌てて逃げ出す二人でした。
あたまがやわらかい子どももいれば、あたまがかたい子どももいる。それでいいんじゃないかな、と少しあたまをやわらかくして思った私でした。
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「評価」するものではないのかもしれない
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投稿日:2010/02/24 |
正直に白状してしまえば、「好み」によって「評価」が大きく分かれてしまうものだと思います。
トレーシングペーパーを使い、霧の中を表現した作者の意図は成功しています。重なりあうトレーシングペーパーは深い霧を思わせ、ページをめくるたびに、サーカスへ近づいていっていることがわかります。
サーカスでは一転して、色紙を使い、サーカスの色彩溢れる楽しさが伝わってくるとともに、切り抜かれた大小の円や半円がサーカス芸に動きをつけくわえています。
この本を訳した谷川俊太郎が、あとがきでムナーリの次のような言葉を引用している。「芸術作品を理解するときの最大の障害は、わかりたいという<欲求>である」。
「わかろうわかろう」すればするほど、この本は自分から離れていくように思います。あたまがガチガチで使い古された価値観に支配された大人よりも、何の先入観ももたない子どもたちの方が、この本の本当の良さが伝わるのではないかと思います。まったく、悔しいことです。
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「やめて!」という勇気
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投稿日:2010/02/24 |
訳された言葉は、「やめて!」と「やめてだって?」の二つです。翻訳者の柳田邦男さんにとっては、「NO!」を訳すだけの楽な仕事だったでしょうか。いいえ、「NO!」が「やめて!」と訳されたからこそ、この本は生かされたのではないかと私は思っています。
戦争が続く町のなかを、大統領に宛てた手紙を投函するために、幼い少年は歩いていきます。ポストのまえで、投函するのを不良少年に邪魔されそうになりますが、「やめて!」と叫ぶことで、投函することができます。
今を生きている私にとって、この「やめて!」の言葉の重さを感じぜざるを得ません。大人たちが発しなかったひとことを少年が発したことにより、世の中は変わっていくのです。
私のまわりには、たくさんの諦めがあります。小さな絶望もあります。しかし、この少年のように、勇気をもって「やめて!」と言えば、何かが変わるかもしれません。それも一人だけでなく多くの人が同じように勇気をもてば、目の前にある困難を乗り越えていくことが出来るのではないかと思います。
「やめて!」のひとことが、この絵本を読む人に「希望」をあたえてくれるでしょう。
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大人こそ読んで欲しい
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投稿日:2010/02/24 |
アメリカ同時多発テロを経験した作者の作った「写真絵本」です。
ページをめくるたびに、子どもたちの何気ない生活を撮った写真があらわれます。泣いている子ども、浜辺を母親と歩く少女、木漏れ日の中に立つ少年、たくさんのロウソクの中に立つ少女……
これらの写真に何らか関連性や統一した意味を見出すことは困難です。ただ、ここに写された子どもたちの毎日が、希望にあふれ、しあわせな日々が続くようにと願わないではいられません。
子どもたちのしあわせを守ることができるのは、大人だけです。子どもたちが希望をもって生きることができる世界になるように、大人こそ、読むべき一冊だと思います。
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大空へ飛び立って
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投稿日:2009/12/29 |
小学生のとき、アゲハチョウを卵から育てたことがあります。巣は、空気穴をたくさん開けたいちごパックを二つ合わせたものでした。
みかんの葉をムシャムシャ食べて幼虫はどんどん大きくなりました。指先でつんつんと突っつくと、頭と胸の真ん中あたりについているツノから、独特の臭いがする汁を出して私を驚かせました。
そして、さなぎになり、突然、アゲハチョウになったのでした。
はねを伸ばしたアゲハチョウは、ベランダから飛び出して行きましたが、すぐに隣のマンションの壁にとまって動かなくなってしまったのです。
どうして飛ばないのか、育て方が悪かったのか、誰かが見つけて捕まえたりしないだろうか、そのまま死んでしまうのではないか、私は心配で仕方なくなり、泣き出してしまいました。
前置きが長くなってしまいましたが、『トムとことり』を読んで、自分が育てたアゲハチョウの話を思い出しのです。こちらが懸命になって、相手のことを世話をしているつもりでも、本当に相手と心を通い合わせているかどうかはわからないのです。ただ、相手が望んでいるであろうことをしたやることしかできないのです。
トムもことりの様子が変わっていくのを見て、ことりを大空へ逃がしてやることを決めました。それを決めたときのトムの気もちは、とても苦しく複雑だったことでしょう。
テキストのない、絵だけの絵本です。
だからでしょう、トムの気もちに、いっそう強く寄り添うことになりまし。トムのことりも、私のアゲハチョウも、大きく青い空を飛んでいってくれたにちがいないと願っています。
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ねこっていうやつは……
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投稿日:2009/12/04 |
表紙の「ねこのせんちょう」を見ただけで圧倒される。
身体も大きいし、毛づやも良さそうだ。両手は手袋をはめたように真っ白だ。そして「ねこのせんちょう」に圧倒されしまう一番の理由は、顔つきにある。何かを厳しい緑色の目で見つめている。その姿はりりしい。
なぜ「ねこのせんちょう」とよばれているのか、それは、毎晩、ボートに乗り、オールをこぎ、恋人の家にむかうからだ。
ボートの上で片寄せあう二人の姿にはドキドキさせられる。おそらく、子どもには仲良くしているんだね、で終わる場面だと思う。
しかし、このときの「せんちょう」の目には、いつものような鋭さはない。ただひたすら、目を丸くして、彼女をやさしく見つめているのである。
裏表紙の絵は、「せんちょう」がボートをこいでいる姿である。遠くに太陽が見えるので、彼女のところから戻ってきたところなのだろう。しあわせなきもちが「せんちょう」の後ろから感じられるような気がする。
私の知人お家にも「ねこのせんちょう」に似たねこががいる。完全な家ねこなのだが、もしかすると同居人の人間に気づかれないよう、夜にこっそりでかけているのかもしれない、と思った。
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もしファビアンが日本だったなら
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投稿日:2009/12/04 |
赤の国と青の国との戦争は、互いに兵士が減り消耗していくにもかかわらず、いつまでたっても終わる気配がありません。
そんなとき、戦争をやめさせるためには必要なものは軍隊ではなく、知恵であることを、この絵本の主人公ファビアンは教えてくれます。
私は、黄色の国が実際に存在していたことに驚き、手を組んで赤の国と青の国とが黄色の国に攻め入ることはないだろうかと心配したのですが、今や王となったファビアンが治めている黄色の国です。もしそうなったとしても、ファビアンは知恵を使って乗り越えていくことでしょう。
それに、いまや赤の国と青の国の人々が生活する村となったかつての戦場には、誰も戦おうとするものなどいなかったに違いありません。
もし今の日本が世界で担えるものがあるとすれば、このファビアンの役割だろうと思います。軍事力ではなく、戦争が起こらないよう交渉や話し合いを行い、戦争をしている国があれば、仲介役として外交を行っていくことだろうと、この絵本は改めて教えてくれました。
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